ディスカバー・ニッケイ

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仏教会に見る日系カナダ人のアイデンティティ

トロントの仏教会というのは1946年にできているんですね。それ1946年というのは非常に面白い時だと思ったんですよね。皆、戦後、戦中、戦後、その日系人でなく見られなきゃいけないからっていうんで、日本的なものからどんどん離れているときですよね。日本的な文化とか。それなのに1946年にトロントに仏教会っていうその日本的な文化、日本の文化の象徴みたいなものを作ったのはなぜなだろうかって思ったんですよね。で、そのあそこはとても解りやすいんです。コミュニティがはっきりしてて、私には解りやすかった。

で、仏教会の人にずいぶんインタビューさせていただいて。で、聞いてみたら、やっぱりその仏教会を作った人たちっていうのは、その親がやっぱ仏教徒で、バンクーバーにいて、仏教会に行っていたとかね。で、その人たちがなんで二世代目になって、次の世代、その次の世代の人たちが、あそこで仏教会を作ろうかと思ったかっていうと、やっぱりね、彼らの意識は、カナダ人に、良きカナダ人に自分たちはなるんだと。カナダのために貢献できるようなカナダ人になる。そのためには、良き日本人であれ、良きその日系人でなきゃいけない。で、その日系人としてのプライドを持つのは何かっていったら、仏教、仏教会っていうその日本の立派な優れた文化をね、皆が共有しているっていう意識がね、すごく大事だっていう。だから自分たちの親の文化を大事に、祖先文化ね、大事にしてそれを誇りに思うことが良きカナダ人になる道であると。だからそれはね、やっぱり自信なんですよね。セルフ・エスティームって言うんですか。自尊心を持つという。だからやっぱり揺らいでたわけですよね。戦時中、その自分が日系、日本と関係があるから、その差別されるっていうことで。非常にアイデンティティ・クライシスですよね。その時にその日系人であるという意識をむしろ強く持つことが立派なカナダ人になるっていうね。そういう意識をもって仏教会を作ったっていうことだったから。


カナダ ハワイ アメリカ 仏教 伝記 宗教 (religions) 建物 教会 日系 日系アメリカ人 第一次世界大戦

日付: 2005年10月7日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: アン・カネコ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

津田塾大学でアメリカ研究を専攻。卒業後、フルブライト奨学生としてシラキュース大学大学院歴史学科に留学し、アメリカ史を専攻する。アメリカの人種、文化の多様性を目にした彼女は、とくにアメリカ史の重要な部分である移民史に関心を持ち、日本からアメリカへわたった移民についての研究を始める。当時は、アメリカにおいても、それまでの政治を中心とした歴史から「社会史」に注目が移りつつあった時代で、指導教官も彼女の研究を応援してくださった。

帰国後、母校で教鞭をとり、アメリカ史、移民史の授業を担当しつつ、自分のテーマである日系アメリカ人についての研究を進める。1980年代、1990年代にはカリフォルニア州で一世、二世の聞き取り調査に精を出したが、その後、カナダの日系人についての研究にも進展し、両国の日系人の歴史、社会での受け入れられ方などを比較してきた。

最近は日系人と日本との関係について、「ララ物資」(「LARA―公認アジア救済機関」)などを例ににして考察している。 最近の主な編著書としては 『もう一つの日米関係史—紛争と協調のなかの日系アメリカ人』 (有斐閣、2000年)、『引き裂かれた忠誠心』(ミネルヴァ書房、1994年)(共著)などがあげられ、 1997年に出版した『日系カナダ人の歴史』 (東京大学出版会) はカナダ首相出版賞を受賞。現在は研究者としてだけでなく、津田塾大学の学長としても活躍中。 (2006年10月6日)

アート・シバヤマ

ペルーでの子供時代(英語)

ペルー生まれの二世。第二次大戦中アメリカへ連行。(1930-2018)

ローズ・クツカケ

両親がカナダへ渡航した理由(英語)

第二次大戦中にスロカンに収容。日系カナダ人コミュニティのアクティブメンバー (1918-2004)

ローズ・クツカケ

第2次大戦中の経験(英語)

第二次大戦中にスロカンに収容。日系カナダ人コミュニティのアクティブメンバー (1918-2004)

フレッド・ササキ

フレデリック・ヨシヒデ・ササキの家族構成(英語)

カナダの一世ビジネスマン(1918年生)

フレッド・ササキ

第二次大戦中の排日感情(英語)

カナダの一世ビジネスマン(1918年生)

フレッド・ササキ

真珠湾攻撃が家族に与えた影響(英語)

カナダの一世ビジネスマン(1918年生)

パット・アダチ

スロカン日系カナダ人収容所での家族生活(英語)

第2次大戦中の収容経験あり。日系カナダ人コミュニティのアクティブメンバー(1920年生)

ミツオ・イトウ

渡日の決意(英語)

日系カナダ人二世。戦後日本で英国軍の通訳者。日系カナダ人コミュニティで活躍(1924年生)

ミツオ・イトウ

カナダでの補償運動(英語)

日系カナダ人二世。戦後日本で英国軍の通訳者。日系カナダ人コミュニティで活躍(1924年生)

シズコ・カドグチ

タシュメでの生活(英語)

日系カナダ人二世。池坊トロント支部を設立。(1920年生)

シズコ・カドグチ

東へ移住か渡日かの選択(英語)

日系カナダ人二世。池坊トロント支部を設立。(1920年生)

アルフレド・カトウ

あなたにとって、日系が意味するものは?(スペイン語)

ジャーナリスト(1937生)

アルフレド・カトウ

アイデンティティ: 日本人 vs. ペルー人(スペイン語)

ジャーナリスト(1937生)

アルフレド・カトウ

日系コミュニティーにとってのペルー新報(スペイン語)

ジャーナリスト(1937生)

ビル・ハシズメ

ミッション市の日本人コミュニティ(英語)

1952年まで日本からカナダへ帰国できなかった二世の日系カナダ人(1922年生)