(英語)私がなかなか収容所を離れようとしないので、彼らが私を早く収容所から追い出そうと「あなたの2人の子供達は収容所を出ています、あなたも早く出ていって下さい」と言ったのです。私は「私の父と母をここに2人だけで残していくわけにはいきません」と言うと、向こうは「大丈夫、ハンクがちゃんと2人を迎えにきますから」と言いました。娘は収容所を出てシカゴに行きたいと言いましたが、私はシカゴに行きたくなかったので、娘とものすごい言い争いになりました。私はシアトルに帰りたかったのですが、娘は大都会に行きたかったのです。娘はもう完全に(シカゴへ)行く気になっていたので、それはすごい言い争いをしました。
そして、私は収容所の監督委員会に行かなくてはなりませんでした。彼らは私を収容所から早く出したかったので、すごく嫌な雰囲気でした。そんな状況で私に勝ち目があるわけがありませんでした。 それでも私は収容所を出たくなかったのです。ひとつには、出るのが怖かった・・・だってそうでしょ?お金も全然ありませんし、知らない街で仕事をした経験もないのですから。それに何よりもシカゴという街が好きじゃなかったのです。でもついに私も収容所から出され(シカゴに)行かないといけなくなりました。
日付: 2004年9月15・17日
場所: 米国、ワシントン州
Interviewer: アリス・イトウ
Contributed by: Denshō: The Japanese American Legacy Project.