(英語)確か重さ60ポンド(約27㎏)分だったかしら・・・(収容所へは)あまり沢山の荷物は持って行けませんでした。ほんの少しの衣類とあとは手で持ち運べるものぐらいですね。(退去命令が出たとき)みんなが一斉にダッフルバッグを買ったので売り切れてしまい、私達家族は自分達でバッグを作らなくてはなりませんでした。そして私達は電車に乗るためケントに行き・・・レントンだったかしら?どっちだったかはっきりしませんが・・・ それはいいとして、姉は(仕度が)遅れて(一緒には出発できず)まだ家に残っていて、確かトール・セイキという男の子と一緒に、私達を(駅まで)見送りに来たのを覚えています。
皆が(電車に)荷物を積み上げていて、それはひどい光景でした。兵士たちに囲まれ、まるで難民集団のように、みんな困惑して何が起きているか分らないという様子でした。電車の中で座る場所を指定され、あとは単に(兵士たちに)言われた通りのことをするんです。まるで(悪い)夢でも見ているようでした。あんなことが起きたなんて今でも信じられません。子供達は「何でこんなことをしなくちゃいけないの?」「どうして?」としきりに聞いていました。兵士たちは私達を電車に連れて行き、「ここがあなた達の席です、昼も夜もずっとここにいなさい」と言いました。
日付: 2004年9月15・17日
場所: 米国、ワシントン州
Interviewer: アリス・イトウ
Contributed by: Denshō: The Japanese American Legacy Project.