ディスカバー・ニッケイロゴ

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収容所の絵(英語)

(英語)色々なとき、収容所のことを思い出します。ドキュメンタリーを作るときだけではありません。絵は非常に感情的で、リアルに物語ります。今でも視覚的に物事が示してくれます。メインの絵画・主題は、現在ロゴと一緒に使われているのですが、少年の私がフェンスのある壁やゲートの間から外を見ている絵で、そしてキャッスル・ロックの先の日没を見ています。私は日没をとてもよく覚えています。トゥーリーレイクで、日没はただただ偉大でした。あんなのは他に見たことがない。他の日も、外に出たときに日没を見ました。ただただとても美しかった。この絵の半分では、少年は美しい外を見ており、半分は逆です。私は暗い濃い灰色の収容所を背景に外を見ています。遠方には監視塔も。監視塔とフェンス。フェンスはそれらの前の方にあります。その絵画が、初めて売れた作品でした。この子供、これは私です。電車での出来事も、カモメの出来事も、父が病気で私は席に座っている時の電車での様子も描きました。後ろで父はベッドにいて、そばで母が父をじっと見つめています。その全ての出来事についてただ覚えているのです。蛇も描きました。全て水彩画です。それが売れて…

あと、収容所にいる時、朝食の合図を待って列になっている光景も描きました。全部描いたのです、家族四人とも。妹も、父親もね。それからコックの卵の割り方です。1区画にいる75人もの人々の分を作らなければならないので、何十個もの卵の入った箱を大桶の中に投げ込んでいました。全てです。殻から何から。そして網ですくうのです。殻を取るんですね。でも、まあ全ての殻が取れるわけじゃないんですよ。小さい物は残ります。子どものとき、食べる度にいつも殻を出していたのを覚えています。でもそれが普通だったので文句は言いませんでした。卵はそういう食べ方をすると思っていたのです。殻を出しながら、食べるもんだと。


兵舎 カリフォルニア州 強制収容所 食品 グラフィックアート 絵画 ツールレイク強制収容所 アメリカ合衆国 第二次世界大戦下の収容所

日付: 2012年6月29日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: クリス・コマイ、ジョン・エサキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ジミー・ムラカミ氏は子供のとき、ディズニーのアニメを見たのがきっかけで映画アニメーターになった。それは第二次世界大戦中にトゥーリーレイクの強制収容所に入れられている日系アメリカ人を対象に見せられたものだった。ロサンゼルスのシュイナード芸術学校に在籍した後、UPAのアニメーターとして働いた。のちに1960、70年代に多数の有名なコマーシャルを生み出したムラカミ・ウルフ社を設立し、「風が吹くとき」や「スノーマン」の長編映画ディレクターとなる。近年アイルランドに住居を構えた後、2014年の2月に80歳で亡くなる。(2014年6月)

Pat Adachi
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スロカン日系カナダ人収容所での家族生活(英語)

第2次大戦中の収容経験あり。日系カナダ人コミュニティのアクティブメンバー(1920年生)

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Aiko Yoshinaga Herzig
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囚人のように思えた収容所生活(英語)

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William Hohri
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収容所へ戻ろうとした時(英語)

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収容所の中での教育(英語)

政治活動家(1927-2010)

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Dale Minami
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カリフォルニア州ガーデナで育まれた順応性と競争心 (英語)

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二世が戦中体験を語るきっかけとなった賠償運動の役割 (英語)

弁護士 (1946年生)

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Mako Nakagawa
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テキサス州クリスタルシティーで別人の様になっていた父との再会 (英語)

教師(1937-2021年)

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Chiye Tomihiro
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JACLシカゴ支部の補償委員会の委員長

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CWRICに関わった唯一の日系判事

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CWRICに関わった唯一の日系判事

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