ディスカバー・ニッケイ

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アメリカ生活の始まり(英語)

(英語)運良く僕らには、義父が用意してくれていたトーランスのグリーンハウス(温室)がありました。寝室が2部屋と、かなり大きなキッチンもあり、住むには十分な環境でした。住み始めた時には何も問題はなく、出だしは大変好調でした。

しかし、働き始めると、ミチコがいつも言っていたこととは異なり、叔父や義父の職場だったにも関わらず、1日10時間働きました。そこでは、10-12人が一緒に働いていました。地味な仕事で、週6日、1日10時間働き、収入は月150ドルでした。楽に稼げる仕事ではありませんでした。ミチコが話していたアメリカの暮らしとはかけ離れていました。でも、もう来てしまっていたので、選択の余地はありませんでした。


ビジネス 経済学 家族 世代 移民 移住 (immigration) 一世 日本 経営 移住 (migration) 職業 戦後 新一世 アメリカ合衆国 第二次世界大戦

日付: 2012年2月2日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: クリス・コマイ、ジョン・エサキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ハルノリ・オダさんは、北海道で生まれ育ちましたが、第二次世界大戦後、日本を訪れていた日系二世の女性と出会い、結婚し、米国に移り住みました。オダさんはアメリカを嫌悪していましたが、妻のミチコさんに、アメリカの方がより多くの成功の機会があると説得され、そのチャンスにかけてみることにしました。英語力には限界があったものの、オダさんは、園芸業で身を起こすことに成功しました。彼は、この仕事であれば、自分の能力で最大限の成功を手にすることができるだろうと考えたのです。最終的に、オダさんは自らの園芸場の経営を始め、事業を拡大し、その後、オレンジ郡で不動産開発業者として大成しました。オダ氏は、2016年12月14日、91歳で亡くなりました。(2016年12月)

トム・ユキ

第二次大戦中は父のビジネスパートナーが農業ビジネスを管理した(英語)

三世のビジネスマン(1935年生)

キシ・バシ

両親は新一世(英語)

音楽家、作曲家、ソングライター(1975年生) 

ミシェル・ヤマシロ

日本人がペルーへ移住した理由 (英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

ミツエ・ヤマダ

写真花嫁の集団と一緒にアメリカに渡った母(英語)

帰米二世、詩人、活動家(1923年生)

ミツエ・ヤマダ

日本から到着した母のためにアメリカの洋服を買った父(英語)

帰米二世、詩人、活動家(1923年生)

カズム・ナガヌマ

妹のキヨは彼にとって第二の母親のような存在だった

クリスタル・シティに収容された日系ペルー人(1942年生)

二宮 正人

奥様とのなれそめ

サンパウロ大学法学部博士教授、弁護士、翻訳家(1948年生)

レイコ・T・サカタ

親の結婚

(1939年生まれ) 戦時中に家族とともに自発的にユタ州ソルトレイクシティに移住した実業家。