ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/990/

家族の伝統としての太鼓(英語)

(英語)太鼓を始めたばかりの頃、私にとって太鼓は楽しみであり、家族がしていることでした。それは、与えられ、いずれ関わるもので、当時の私は伝統と意識することはありませんでした。意識するようになったのは、夫と付き合っていた当時、彼にあることを言われてからでした。彼は、私が夏中太鼓に没頭し、活動に打ち込んでいることに言及し、「家族に脈々と受け継がれている伝統があるんだね」と言いました。私は少し考え、「まあ、そうかもしれない」と思いました。伝統という見方をしたことがなかったのです。

彼が活動に参加し、太鼓を学ぶだけでなくグループに密に関わり成長を見守ってくれていることを、とても有り難いと思いました。今では息子も参加していて、とても感慨深いです。経験を積めば積むほど太鼓の意味合いは変化し、時間の経過とともに個人的に太鼓から得るものも変化していきます。グループのメンバーにもこういった変化は見てとれます。


ドラム 家族 太鼓 伝統

日付: 2004年7月9日

場所: 米国、ハワイ州

インタビュアー: アート・ハンセン、ソージン・キム

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

マウイ太鼓のカイ・フクモト氏は地元ハワイ州マウイで何世代にもわたりお盆祭りで太鼓を演奏してきた家庭に生まれました。現在は彼女の夫と息子もマウイ太鼓のメンバーです。マウイ太鼓がグループとして正式に結成されたのは1996年ですが、マウイでのグループの歴史は100年以上にも及びます。

1970年、当時10歳の彼女はマウイ島のお盆祭りで太鼓を演奏しましたが、女の子がお盆祭りで太鼓を演奏するのは初めてのことでした。現在はマウイ太鼓のリーダーとして活躍しており、お盆シーズンにはグループを率いて16のお寺で演奏します。2001年には彼女が中心となって、演奏のため、マウイ太鼓のグループをつれ、福島県と広島県で太鼓公演のツアーを行いました。(2004年7月9日)

キミ・ワカバヤシ

見合い結婚 (英語)

日系カナダ人一世。1931年にカナダへ夫と移住。(1912年生)

シズコ・カドグチ

家族の反対をおしきりボブと結婚(英語)

日系カナダ人二世。池坊トロント支部を設立。(1920年生)

ケニー・エンドウ

緊那羅太鼓とサンフランシスコ太鼓道場の違い(英語)

和太鼓奏者・アーティスト。太鼓センター・オブ・ザ・パシフィック(Taiko Center of the Pacific)の芸術監督。(1952年生)

ケニー・エンドウ

伝統からの脱却(英語)

和太鼓奏者・アーティスト。太鼓センター・オブ・ザ・パシフィック(Taiko Center of the Pacific)の芸術監督。(1952年生)

ケニー・エンドウ

非太鼓グループとの共演(英語)

和太鼓奏者・アーティスト。太鼓センター・オブ・ザ・パシフィック(Taiko Center of the Pacific)の芸術監督。(1952年生)

田中誠一

桜祭りでの太鼓演奏の欠如(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

田中誠一

アメリカで太鼓を始めた理由(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

田中誠一

緊那羅太鼓との出会い(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

田中誠一

太鼓とはっぴ(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

田中誠一

タイア道場(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

田中誠一

伝統的太鼓スタイル(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

田中誠一

開拓精神へ捧げる(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

田中誠一

日本の音楽教育(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

田中誠一

アメリカの太鼓と日本の太鼓の違い(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

田中誠一

夢-「太鼓」が英語の辞書に(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)