ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/690/

日系アメリカ人であるがゆえに失った鉄道職 (英語)

(英語) 僕は、車を運転して貨物列車や旅客列車のスポケーンの経由時間を掲示しに行く仕事に就いたこともありました。その仕事を得た後に僕が日系人だと知った雇用主に、「日本人に列車の時刻表を配達させるなんてだめだ。」と言われたんです。彼らは日系人が、鉄道や軍用品をたくさん乗せた貨物列車を爆破するか何かするんじゃないかと恐れたんでしょうね。戦車が、軍用戦車ですね、スポケーンを通過するのを見たこともありました。そしてその直後に現場から解雇されました。彼らは、僕の名前がヤマダで、日系ということを知ると、そういうデリケートな配達の仕事に就かせるわけにはいかない、と思ったようです。その仕事には、ヒルヤード駅まで行ってスポケーンから来る貨物列車の時間を知らせる任務もあったんですね。いい仕事だったのですが、解雇されてしまったんですよ。


差別 対人関係 人種差別 鉄道 スポケーン アメリカ合衆国 ワシントン州

日付: 2006年3月15・16日

場所: 米国、ワシントン州

インタビュアー: メーガン・アサカ

提供: Denshō: The Japanese American Legacy Project

語り手のプロフィール

ジョージ・ヤマダ氏は、1923年ワシントン州スポケーンで生まれた日系二世です。同地には両親が経営するワールド・ホテルがあったため、幼年時代もそこで過ごしました。父親は(ホテル経営の他に)グレート・ノーザン鉄道で郵便係としても働きました。ルイス・アンド・クラーク高校、ワシントン州立大学に就学。戦争中、日系アメリカ人を乗せてワイオミング州ハート・マウンテンの収容所に向う電車が、スポケーンを通り過ぎていくのを見たのを覚えているそうです。1944年、陸軍に徴兵され、ミネソタ州フォートスネリングおよびカリフォルニア州プレシディオの陸軍情報部語学学校に従事しました。第2次世界大戦後は、ニューヨーク北部地方とその近郊で初生雛鑑別師(しょせいびなかんべつし)として30年間働き、1970年代半ばにスポケーンに戻り、不動産業に従事しました。現在は妻のスージーと共にスポケーンに住み、釣りに励んでいます。(2006年3月16日)

サカエ・シゲカワ

「みんな、盲従した」 (英語)

南カリフォルニアの産婦人科医(1913-2013年)

フランセス・ミドリ・タシロ・カジ

日系二世の医師が受けた差別 (英語)

一世医師の娘(1928-2016年)

スミコ・コザワ

戦後の差別の経験 (英語)

花屋 (1916-2016年)

A. ウォーレス・タシマ

日系アメリカ人弁護士として拒絶される(英語)

連邦控訴裁判所での職に任命された初の日系アメリカ人(1934年生)

ジョージ・タケイ

アジア系に対するステレオタイプ(英語)

俳優、活動家(1937年生)

キャロウェイ・久松 照美

サンフランシスコで受けた差別

横浜出身の戦争花嫁(1937年生)

パウロ・イサム・ヒラノ

日本語の理解を深めるにつれ、日本社会に受け入れられる

(1979年生)群馬県大泉町在住の日系ブラジル人三世。デザイン事務所経営。

トム・ユキ

日系人の帰還を歓迎しなかったサリナス(英語)

三世のビジネスマン(1935年生)

タカヨ・フィッシャー

戦後の米国で人種的に自分が何者なのか混乱(英語)

日系アメリカ人二世、舞台、映画、テレビ女優 (1932年生)

ミア・ヤマモト

高校における黒人差別の理解

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

ミア・ヤマモト

人種差別が彼女を初のトランスジェンダーの弁護士に育てた

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士