ディスカバー・ニッケイ

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人工ふ化業に於けるひよこ雌雄鑑別者への高い需要依存 (英語)

(英語) 僕の仕事はそれこそてんやわんやの状態になる時もありましたね。とにかく移動も多かったですし、人口ふ化場によっては、1日の中の1回のふ化で10万から20万羽のひなをかえすわけですからね。10万羽のひよこがいれば、5万は雌でもう半分の5万は雄と仮定されますね。それから1つのふ化場に入るひよこは10万羽で、(その仕事が終わると)近隣地域にいる別の雌雄鑑別者にも連絡を取って、2人から5人だったか、2人から4人くらいの鑑別師を集めてまた別のふ化場まで行き、一緒にもう10万羽のひなの鑑別をするんです。それが終わるとまた別のふ化場へ移動し、もう25万羽やる訳ですよ。そしてまた次の場所に移動…そんなことを全部1日でやっていたんです。そして今度は食用肉になるにわとりの鑑別を依頼されると、そこにも数十万羽のひよこがいたりしてね。だから1日にさばいていた数は数千ではきかないですね。それこそ何十万羽ものひよこを鑑別しなければならなかったんですよ。


日付: 2006年3月15・16日

場所: 米国、ワシントン州

インタビュアー: メーガン・アサカ

提供: Denshō: The Japanese American Legacy Project

語り手のプロフィール

ジョージ・ヤマダ氏は、1923年ワシントン州スポケーンで生まれた日系二世です。同地には両親が経営するワールド・ホテルがあったため、幼年時代もそこで過ごしました。父親は(ホテル経営の他に)グレート・ノーザン鉄道で郵便係としても働きました。ルイス・アンド・クラーク高校、ワシントン州立大学に就学。戦争中、日系アメリカ人を乗せてワイオミング州ハート・マウンテンの収容所に向う電車が、スポケーンを通り過ぎていくのを見たのを覚えているそうです。1944年、陸軍に徴兵され、ミネソタ州フォートスネリングおよびカリフォルニア州プレシディオの陸軍情報部語学学校に従事しました。第2次世界大戦後は、ニューヨーク北部地方とその近郊で初生雛鑑別師(しょせいびなかんべつし)として30年間働き、1970年代半ばにスポケーンに戻り、不動産業に従事しました。現在は妻のスージーと共にスポケーンに住み、釣りに励んでいます。(2006年3月16日)