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音楽で表現する政治的メッセージ(英語)

(英語) 学生のころは、Public Enemyの音楽が大好きでした。このグループは常に政治色が濃く、人々が口にしない問題を好んで取り上げてました。例えば911(緊急電話番号)の対応時間の遅さ(人種によって対応時間が違う)についての批判や、ある時・場所で起きた政界内での人種差別などです。こうした問題を常に歌に取り込んでいく彼らをみて、「なんてかっこいいんだろう!この種のものはもう余りヒップポップにはなくなったな」と思いました。ある意味ロックにもそれはなくなっていました。

そこで、もう少し政治的なメッセージを自分の曲に含めることができたらと考え、歴史的事実と個人的なものが合わせた形で何か創りたいと考えてたんです。そうしてできたのが「Kenji 」です。私は収容所の話を語るのに十分な情報を持っていましたし、たとえ十分でなかったとしても、さらに情報をくれる人がいましたから。多くの人達はただ単に収容所の話を知らないだけなので、知ってもらうためには自分ができることは、これだと思ったんです。


フォート・マイナー(バンド) 音楽

日付: 2006年1月16日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: クリス・コマイ、ジョン・エサキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

マイケル・ケンジ・シノダはカリフォルニア州ロサンゼルスの郊外にあるアゴーラヒルズで日系アメリカ人の父と白人の母親の元に生まれ育ちました。3歳の時、ピアノを習い始めたのが音楽との出会いです。高校、大学時代は、友達とともにXeroという名のバンドを組んでいましたが、同じ名前のバンドが既に存在していたため、バンド名をHybrid Theoryと変更。最終的にLinkin Parkの名前に落ち着きました。2000年には最初のアルバムをリリース。以来、Linkin Parkの活躍は目覚しく、2002年には「Crawling」でグラミー賞最優秀ハードロックパフォーマンスを受賞、2006年にはJay-Zとのコラボレーション「Numb/Encore」でもグラミー賞(最優秀ラップ/ ソング・コラボレーション賞)を受賞しました。

2005年、シノダはFort Minorのプロジェクトをたちあげ、初のソロアルバム『The Rising Tied』をリリースしました。これは自ら作曲・プロデュースしたヒップホップのアルバムです。このデビューアルバムの中にある「Kenji」は全米日系人博物館を訪れたのをきっかけに作った曲です。第2次大戦中に収容所経験のある親戚から話を聞き、父親と叔母のインタビューの一部を歌に組み入れています。

また、カリフォルニア州パサデナにあるArt Center College of Designで学んだ彼は、音楽のキャリアのほかに、視覚芸術の分野でも活躍しています。Linkin Parkの出版物やウェブサイトのデザインなども手がけており、Linkin ParkやFort Minorのアルバムカバーのデザインも彼の作によるものです。

このように多くのプロジェクトを手がけているにもかかわらず、慈善事業にも多数参加しています。母校のArt Center College of Designで奨学金を立ち上げ、さらにはユナイテッド・ウェイ、Denshō 、Make-A-Wish Foundation、全米日系人博物館のような団体もサポートしています。2005年に行われた、ロサンゼルスでの二世ウィーク祭のパレードにも参加。2006年には、彼のアメリカ文化へのクリエイティブな貢献に対し、全米日系人博物館から賞を受賞しています。(2006年10月19日)

Kazuo Funai
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バイオリンを購入

一世実業家(1900-2005)

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Seiichi Tanaka
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桑港囃子 - 一世の人たちへ捧げる

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

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太鼓哲学

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アメリカでの初めての太鼓パフォーマンス

太鼓奏者。南カリフォルニアで5つの太鼓グループを結成(1949-2019年)

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日本文化の伝統としての太鼓の音

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アメリカで太鼓を始めた理由(英語)

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太鼓とはっぴ(英語)

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伝統的太鼓スタイル(英語)

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日本の音楽教育(英語)

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アメリカの太鼓と日本の太鼓の違い(英語)

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夢-「太鼓」が英語の辞書に(英語)

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Alice Sumida
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『青い目の人形』

アメリカ最大のグラジオラス球根農園の設立者 (1914-2018)

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太鼓リズムの変化-日本的なもからアフロ・キューバンへ(英語)

ロサンゼルスの洗心仏教寺の開教使・緊那羅(きんなら)太鼓の共同創始者。

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