教育界における女性差別(英語)

書き起こし文章は右記の言語でご覧になれます:

(英語)教員資格制度が新しく導入されましてね、私も資格をとり、29歳のときだと思いますがヒロの中学校で副校長として仕事を始めました。娘を育てながら、そこに8年間勤めました。その後、校長のポジションに応募したのですが、オファーがあったのは小さな小学校の校長のポジションでした。1960年代の初めのころは、まだ女性は家計を支える立場にないと考えられていたんです。なので、「貴方が家計を支えている訳ではないので、本当に必要としている人にこの職は取っておかなければなりません」というんです。結局、彼らがオファーしてくれたポジションは三つの小学校を同時に管轄する校長、後にそのうち一校は閉鎖することになりましたがね。

私はちょっと腹がたちましたが、その仕事を引き受けることにしました。グレンには、「みんなに私の力を見せてあげるわ」って言ったら、「そうだよ、その調子でやってみたら」というので、それで校長になったの。仕事は小学校三つの面倒を見て、いずれそのうちの一校を閉鎖するというもので、実際に閉鎖しました。

それから、私は中学校教員の資格を持っていたんですが、ホノルルの人事の人が来て、「マーガレット、君は中等教育の資格を持っているけれど、小学校の校長でいるためには初等教育の資格も必要だよ。だから、小学校で一学期毎日一時間実際にクラスを担当してくれないか」って言うんです。で、結局そのようにしました。教えたのはもちろん数学で、Special Ed (特殊学級)の生徒さんたちでした。なかなか面白かったですよ。

日付: 2006年5月31日
場所: 米国、ハワイ州
Interviewer: アケミ・キクムラ・ヤノ
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

discrimination gender

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