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日本行きの捕虜交換船での記憶(英語)

(英語)(船を下りた場所で捕虜の)交換*が行われます。もちろん私達もそれをわかっていました。ですから私達は言われる通りに船室で荷造りをして、全員船から降りて波止場で待ちました。陸では2、3時間ほどだったか時間を与えられました。「余り遠くへ行かないように」と言われたものの、つかの間の自由時間を与えられたのです。

私達全員がグリプス・ホルム号から降りたので、船はアメリカ人(兵士)を受け入れる体制を整えていました。するとアメリカ人が帝亜丸(ていあまる)から降りてくるのが見えました。彼らは一列に並んで歩いていました。そしてとても嬉しそうに手を振っていました。わたしも急に弱気になり手を振ってしまったのですが、はっと我に返り、わあ、こんなこと(人の交換がされていること)が本当に起きているんだと思いました。人々が一列になって(降りてくるなんて)。そしてアメリカ人全員が帝亜丸を降りたとほぼ同時に私達も列をつくり帝亜丸にどんどん乗り込みました。船に乗り込んだ瞬間すぐにこの船が豪華客船でないことに気づきました。船は貨物船か軍艦輸送船だったのです。薄汚くてくすんだカーキ色をしていました。

* 日本政府は帝亜丸にアメリカ人捕虜を乗せ、米政府はグリプスホルム号に日本人(または日系人)を乗せ、中立国のポルトガル領インドゴアで捕虜交換を行い、それぞれの市民を本国の船に乗せて帰還した。


国外追放 国外追放(expatriations) グリップスホルム号

日付: 2003年8月3・4日

場所: 米国、ワシントン州

インタビュアー: アリス・イトウ

提供: Denshō: The Japanese American Legacy Project.

語り手のプロフィール

マリオン・ツタカワ・カネモトさんは1927年12月30日にワシントン州シアトルで生まれた日系二世の女性です。子供の頃日本で15ヶ月過ごした後、シアトルへ戻り中等教育を受けました。真珠湾攻撃の後、彼女の父はFBIに拘束され、司法省管轄のモンタナ州ミズーラの収容所へ収監されました。彼女自身はピュヤラップ集合センターからアイダホ州ミニドカ収容所へ収容、ミニドカにて父と再会しました。1943年、彼女の家族は日本へ戻ることを志願したため、アメリカ政府による捕虜交換船「USSグリプスホルム号」にて日本へ送還されました。日本で高等教育を受け、戦時中は空襲訓練などにも参加しました。戦後のアメリカ軍占領下の日本で、同志社大学へ入学し、アメリカ軍基地の病院図書館で働きました。その後、アメリカへ帰国し、ミネソタ州ロチェスターのセントマリー教育実習病院に入学。戦中に日本へ送還されていたため、収容所に対する戦後補償を拒否されましたが、集団訴訟の結果、1996年に補償を得ることに成功しました。

*全インタビューはDenshō: The Japanese American Legacy Projectにて見ることができます。

Henry Shimizu
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ヘンリー・シミズ

カナダ政府による日本送還への圧力 (英語)

医者。日系カナダ人リドレス基金の元会長。(1928年生)

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Jean Hamako Schneider
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ジーン・玻満子・シュナイダー

捕虜交換船で戻ってきた父

戦争花嫁(1925年生)

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