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アメリカ市民になった理由

永住権取って、市民権ということまでは考えていなかったんですけど、2000年の時に市民権を取りました。その時は第一号の英語のわからないアメリカ人が誕生したのではないかというぐらい、英語がわからなくても市民権をいただいたということで感謝しております。

やっぱし家族が出来て、私はもう日本、それともふるさとに帰ってもまあ、あれだから、こちらの方に第二のふるさとができたんだなという意味もありまして、市民として生まれた子供たちのためにも、やっぱり市民になって、一緒にならなければいけないんだなという心構えがあって、取らせていただきました。本当にありがとうございます。


世代 移民 移住 (immigration) 一世 日本 移住 (migration) 戦後 新一世 アメリカ合衆国 第二次世界大戦

日付: 2016年4月16日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: 渡辺 美津重

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1949年8月21日、青森県に生まれる。1962年16歳で上京し、夜学へ通いながらすし屋に住み込みをし、板前の修業をする。その後、三長会という調理師組合に入り、数々のすし屋を転々とする。1973年、ロサンゼルスの東京會舘という店と3年契約をして渡米。契約終了後、一時帰国するが、その後も東京會舘から声がかかり、再び3年契約を結んでロサンゼルスへ来る。契約終了後、アメリカへ残ることを決め、1980年にロサンゼルスのリトル東京に「鮨元」を開店。また南加青森県人会の創設にも尽力し、ロサンゼルスにおける日系人コミュニティの発展に貢献しているほか、2007年には初代ねぶた囃子保存会会長を務めるなど、アメリカにおける日本文化継承活動に力を注いでいる。2015年、在ロサンゼルス日本国総領事館より総領事表彰を受賞した。(2018年5月)

Yoshiko Yamaguchi
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アメリカの市民権を取ることの利点

新一世ソーシャルワーカー(1931年生)

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Akira Takashio
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初めて来たときのアメリカの印象

新一世、居酒屋と割烹のレストラン「本多屋」の社長

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Akira Takashio
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移住当初の生活

新一世、居酒屋と割烹のレストラン「本多屋」の社長

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Masato Ninomiya
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日本国籍を復活させたい

サンパウロ大学法学部博士教授、弁護士、翻訳家(1948年生)

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