インタビュー
玻満子に対する家族の反応(英語)
(英語)戦争花嫁、彼女たちはそう呼ばれ、妻も初期に渡米した1人でした。彼女が1番最初だったかもしれません。しばらくすると、彼女は、というか僕らは、カリフォルニアのルーカディアに住む、素晴らしい日系人一家と出会いました。僕らの家があるエンシニータスより少し北の方です。イトウ家には、お母さんとお父さん、3人の子供たちがいました。子供はもっと多かったかもしれません。素晴らしいご家族で、僕らを受け入れてくれました。
僕らの娘は、1952年ラホヤで生まれました。彼女はそんな歳には見えないので、怒るかもしれませんね。とにかく玻満子は、それまで赤ちゃんと接したことがなかったので、どうすればいいかわからなかったのです。イトウ夫人が、玻満子に赤ちゃんのお風呂の入れ方やおむつの替え方を教えてくれました。僕らはイトウ家と本当に親しくなりました。イトウ家の娘さんは、今でも妻ととても仲が良いのです。
僕らは半分日本的な生活をしていました。僕と玻満子がソラノ・ビーチに来たばかりの頃、僕の家族、僕には叔母や叔父などがいましたが、皆が集まってくれました。そして玻満子を心から歓迎してくれました。数か月前まで玻満子は敵性外国人でしたが、何の問題もありませんでした。彼女は、「ジャップ」などという言葉を聞くこともなく、人種的憎悪の標的とされることもなく、僕の家族に愛されました。僕の父に至っては、僕以上に彼女のことを気に入っていたんです。僕にはちゃんとわかっていましたよ。
日付: 2012年1月26日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: ジョン・エサキ、西村 陽子
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
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