ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1771/

軍隊で壁画や標識を描く

誰か絵が描ける人はいないかと聞かれたので、私は手を挙げて、何かできると言いました。下士官全員に、飲み物などを飲んだりする会合場所がありました。彼らは私に壁に馬や馬やその他いろいろなものを描いてほしいと言ってきたので、私はいいよと言いました。それで私は絵を描きました。それが私がやったことです。だから行進したり何かをしたりする必要はなく、ただ彼らの部屋に直行して毎日絵を描いていただけでした。

彼らは誰かに看板を描いてもらう必要がありました。だから誰も(みんな)あわてることなく…私は看板を描き、数字を書いて、そしてすべてのステーションで、撃ったり手榴弾を投げたりしていました。彼らがそうしている間、私は絵を描いていて、何もしていませんでした。だからアートやバスケットボールは本当に私を助けてくれました。


芸術 アメリカ陸軍

日付: 2019年9月20日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: トム・イケダ、西村 陽子

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ジョージ・カズハル・ナガヌマは、1938年にペルーのリマで一世の両親のもとに生まれました。第二次世界大戦中、家族は船に乗らざるを得ず、テキサス州クリスタルシティに収容されました。戦争が終わった後も、彼らは行くところもなくそこに留まりました。カリフォルニア州サンフランシスコの牧師の援助により、彼らは脱出することができ、そこで仕事と住居を見つけることができました。ジョージはサンフランシスコでボーイスカウトに参加し、部隊とともに日本を訪問することができました。彼はアメリカ陸軍に入隊し、事務タイピストとして働きました。 (2020年6月)

ユリ・コチヤマ

病院に入った戦時捕虜としての父(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

アート・シバヤマ

真珠湾攻撃後、ペルーからアメリカへ連行(英語)

ペルー生まれの二世。第二次大戦中アメリカへ連行。(1930-2018)

ロジャー・シモムラ

陸軍での人種差別経験(英語)

日系アメリカ人画家、版画家、教授。(1939年生)

ビル・ハシズメ

カナダ人ゆえに解雇(英語)

1952年まで日本からカナダへ帰国できなかった二世の日系カナダ人(1922年生)

エリック・ナカムラ

若いアーティストの足がかりとしての『ジャイアント・ロボット』(英語)

『ジャイアント・ロボット』の創設者・出版社社長

マイク・シノダ

アーティストとしての役割(英語)

ミュージシャン、プロデューサー、アーティスト(1977年生)

フランク・ソギ

戦後日本行きを志願(英語)

弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)

フランク・ソギ

当時の収容所に対する認識(英語)

弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)

フランク・ソギ

アメリカ占領下の日本(英語)

弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)

アキラ・ワタナベ

「力」を表現する太鼓 (スペイン語)

ペルーの琉球祭太鼓のディレクター(1974年生)

クリフォード・ウエダ

兵役志願(英語)

政治活動家 (1917 - 2004)

ヨンオク・キム

基本訓練 (英語)

第二次世界大戦・朝鮮戦争の退役軍人 (1919 - 2006)

ヨンオク・キム

外見と戦闘効率(英語)

第二次世界大戦・朝鮮戦争の退役軍人 (1919 - 2006)

ヨンオク・キム

成功しなければならなかった(英語)

第二次世界大戦・朝鮮戦争の退役軍人 (1919 - 2006)

ヨンオク・キム

アジア人皆のために(英語)

第二次世界大戦・朝鮮戦争の退役軍人 (1919 - 2006)