ディスカバー・ニッケイ

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強制収容について(英語)

(英語)そうですね、強制収容については、例えば、「American’s Concentration Camps」といった本で知りました。自分たちの歴史を、大学に来て初めて学ぶということは、僕らの多くにとって開眼させられる経験であり、関心は頂点に達しました。僕らはもっとたくさんの質問を投げかけました。収容所に居た人たちと会い、話がしたかったのです。つまりそれは、基本的に僕らのほとんどの両親や祖父母を意味していました。僕らは、彼らが収容された場所を見たかったので、マンザナールや他の場所へ巡礼に出かけました。巡礼が始まったのは、ちょうどその頃でした。

その後数年以内に、僕らの多くは民族学を教えるようになっていました。僕らは教員免許を持っていませんでした。学位もありませんでした。本もありませんでした。でも、集められる限りの情報を集め、日系二世を招き、フィリピン系労働者の活動家を招き、チャイナタウンから人を招き、引退した人には体験談を語ってもらいました。初期の頃、僕らはそんな風に学んでいました。


カリフォルニア州 強制収容所 アイデンティティ マンザナー強制収容所 巡礼 アメリカ合衆国 第二次世界大戦下の収容所

日付: 2011年9月29日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: クリス・クロミツ、ジョン・エサキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

マイク・ムラセ氏は、弁護士、活動家、行政官、作家、写真家であり、福祉や社会変革活動、教育、行政、政治に40年以上にわたり携わってきました。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の学部生時代には、アジア系アメリカ人研究センター(アジアンアメリカンスタディセンター)の立ち上げメンバーとなり、その後、UCLA、南カリフォルニア大学、カリフォルニア州立大学ロングビーチ校で民族学(民族研究)を教えました。

マイクのアジア系アメリカ人コミュニティとの関わりは深く、リトルトーキョー・サービスセンター(LTSC)の立ち上げに中心メンバーの1人として携わりました。このセンターは、リトルトーキョー、ひいてはロサンゼルス全体の日系アメリカ人コミュニティの社会福祉や地域経済発展のために設立され、マイクは、最初の5年間センター長を務めました。また、彼は、日系福祉権協会、リトル・トーキョー人権協会、補償を求める全国連合(NCRR)といった団体を支持し、著書には、「Little Tokyo: One Hundred Year History」があります。2006年、マイクはLTSC運営チームの一員としてセンターに戻り、現在サービスプログラム部門長を務めています。(2012年8月)

Michelle Yamashiro
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ミシェル・ヤマシロ

三か国語を使った沖縄での活動(英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

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Mitsuye Yamada
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ミツエ・ヤマダ

詩を通して自分を表現(英語)

帰米二世、詩人、活動家(1923年生)

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Juan Alberto Matsumoto
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ファン・アルベルト・松本

エスコバールについて(スペイン語)

日本在住の日系アルゼンチン人、二世(1962年生)

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Monica Teisher
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モニカ・タイシャ―

ニッケイの定義(英語)

米国在住の日系コロンビア人(1974年生)

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Sabrina Shizue McKenna
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サブリナ・シズエ・マケナ

カミングアウトが家族に与えた影響

(1957年生まれ) ハワイ州最高裁判所判事。

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