日本語を知る重要性を更に認識(スペイン語)
(スペイン語)当初からラティーノたちと交流はあり、90年代の前半はほぼみんなが仕事に就いていましたし、仕事が生活でした。その結果、日本語や日本の文化(習慣や価値観等)については、みんなあまり理解していませんでしたし、その必要性も感じてませんでした。 当然そうした状況がいつまでも続くとは思えなかったので、私はいつもペルー人の同胞たちには口うるさく、日本語を、基本的なことでいいから、勉強するよう呼びかけたのです。今の仕事が良くても、解雇されたときには日本語ができないとその次の仕事につなげられないと警告したのです。 もう当時から、企業による外国人に対する日本語レベルの要求は高まっていました。はじめは、基礎的な会話力だったのですが、次第に職場での伝票記入や業務報告をかけるぐらいの日本語力も求めるようになりました。要求は厳しくなっていたのですが、長年同じ職場にいたラティーノ労働者たちはそこまで日本語を勉強しなくてもいいとかなり安心し切っていたのです。 I*: そのようでしたか。 でも、当時は企業内通訳も多かったのです。だから困ることもなく過ごせたのです。 * “I” は、インタビュワー (Alberto Matsumoto)
日付: 2009年3月24日
場所: 日本、東京都
インタビュアー: アルベルト・松本
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター