
現在91歳のエド・モレノ氏は、テレビ、新聞や雑誌などの報道関係でおよそ70年のキャリアを積み、作家、編集者、翻訳者として数々の賞を受賞してきました。彼が日本文化に傾倒するようになったのは1951年で、その熱は一向に冷める気配を見せません。現在モレノ氏は、カリフォルニア、ウェストコビナ地区のイースト・サン・ガブリエル・バレー日系コミュニティセンター(East San Gabriel Valley Japanese Community Center)の月刊誌「Newsette」で、日本や日系文化、歴史についてのコラムを連載しています。モレノ氏による記事のいくつかは、東京発の雑誌、「The East」にも掲載されています。
(2012年3月 更新)
この執筆者によるストーリー

拉麺
2010年3月3日 • エドワード・モレノ
店主の村上武志夫妻は、この店をロマンチックな意味を込めて「風風亭」と名付けました。郵便番号は、華やかなハシエンダハイツの数秘術に当てはまりますが、店はクラークアベニュー15018番地にあり、ターンブルキャニオンの近く、半分田舎で半分工業地帯のコミューンです。時速15マイル以上で通り過ぎると、見逃してしまうでしょう。私たちも何度か見逃しました。駐車場は限られており、「B」評価で、昭和初期の東京の裏通りにある小さな店のような、まったく気取らない内装です。でも、ああ…料理、あの料…

クリス、遅かったね! - パート 4
2010年2月19日 • エドワード・モレノ
>>パート3を読む正統的な科学的見解は、アベナキ族からゾケ族まで、すべてのアメリカ先住民は、約 16,500 年前にベーリング海峡となったベーリンジア陸橋を通ってシベリアからアラスカに渡ったモンゴロイド人の子孫であるということです。やがて彼らはクロービス人となり、他のすべての人類集団と同様に、進歩の特定の時点で独自の文化的ニュアンスを発達させました。旧世界の文化との類似点は、すべて発展の偶然、つまり収束です。それ以外は、まったくの推測です。わかりましたか? 「世界を変えるた…

クリス、遅かったね! - パート 3
2010年2月12日 • エドワード・モレノ
>>パート2を読む受け入れられている教義と新しい現実の間に違いがあることを発見したことを正統派に納得させるために一生を費やすのは、ひどく苛立たしいことだろう。文化的フジツボが科学的教義という理論船から取り除かれるまでには、しばしば何億年もかかる。ベティ・ジェーン・メガーズ博士の叙事詩は、フジツボ除去の最も優れた試みの一つである。おそらく人類学の最も著名な異端者メガーズは現在、良い仲間がいるが、それは彼女がエクアドルで精力的に働いてから何年も経ってからだった。少し歴史を調べて…

クリス、遅かったね! - パート 2
2010年2月5日 • エドワード・モレノ
>> パート1 「1492年、コロンブスは青い海を航海した」という連句を覚えていない若いアメリカ人学生に出会ったことはありますか? ぜひ、私のバージョンを試してください。 1492年、コロンブスは大西洋を航海し、それはすべて順調ですが、私は言わなければなりませんクリスが到着する遥か昔、彼らの優れた生存能力のおかげで、縄文人の船乗りたちはエクアドルの北海岸に上陸した。中国人はカリコにやって来て、二人ともメキシコにやって来た。過去を注意深く振り返ると、コロンブスが最後にここに到…

クリス、遅かったね! - パート 1
2010年1月29日 • エドワード・モレノ
別の記事のリサーチ中に、1596年にフィリピンからヌエバ・エスパーニャ(現在のメキシコに主要な政府が置かれていた北アメリカと中米の領土)に戻る途中で難破したスペインのマニラ・ガレオン船サン・フェリペ号に関する情報を見つけました。約100万メキシコ・ペソ相当の東洋の品物を積んだこの船には、フランシスコ会の宣教師の一行も乗っていました。太平洋のひどい嵐のため、船は四国の土佐に漂着しました。当時の慣習として、修道士以外の誰もが難破した品物の分け前を欲しがりました。船の水先案内人で…

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