天海 幹子

(あまがい・みきこ)

東京都出身。2001年から2005年まで北米報知でジェネラルマネージャー兼編集長を務める。北米報知100周年記念号発刊。「静かな戦士たち」、「太平洋(うみ)を渡って」などの連載を執筆。シアトルの二世退役軍人のインタビューが、最も心に残っているという。昨年11月、44年のシアトル生活を終え、現在は東京在住。

(2021年1月 更新)

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Quiet Warriors

エディー(英義)・堀川さん

「大戦後のヨーロッパで子供たちが食べ物をせびりに来るんですよ。なべを持ってね。白人の兵士たちは(子供たちを)邪険に扱ったり、目の前でわざと残り物をゴミ箱に捨てたりしていたけれど、僕たち二世兵士は1人1人に少しづつ分けてあげました。アメリカの収容所にいる(日系の)子供たちだと思ってね」と堀川(エディー)英義さんは語る。

入隊前パインデールの仮収容所で200人の子供たちにアートを教えていた堀川さんは、戦争が子供たちに及ぼす影響を目の当たりに見ている。「子供たちが悪さをするのを防ぐのが目的だったんですがね、僕自身とても充実した時期でした」と回顧する。

堀川さんはシアトルの旧日本町生まれ。父親は8人姉妹の家計を助ける為に…

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Quiet Warriors

ロバート(ボブ)・佐藤さん

「戦争で何したのって子供たちに聞かれても、戦争では兵隊をしていたと答えるしかない」と語るのはロバート佐藤さん。第2次世界大戦では442連隊の上級曹長を勤めた。多くの二世と同じ様に、何があったかは話すが、自身のこととなるとどう感じたかは語らない。

佐藤さんはタコマ市の南、ファイフで生まれた。戦争が始まると農業を営んでいた家族と共にピュアラップのキャンプ・ハーモニー(仮収容所)からミネドカ1収容所に移る。兄は志願して一足先に、MIS(軍事情報部員)としてミネソタ州キャンプ・サベージに行ったが、高校生の佐藤さんは卒業するためミネドカに残った。翌1944年には徴兵され、ミシシッピー州シェルビー軍隊教習所に向かったのは6月6…

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Quiet Warriors

リチャード・内藤さん

1942年2月、日本軍が真珠湾を攻撃した2ヶ月後、故ルーズベルト大統領の発令9066のもと、シアトル市近辺の11万人の日本人、日系人が収容所に送られた。その3分の2はアメリカ生まれの二世達。彼らの生き様は2つに分かれた。「アメリカに忠誠を誓いますか」の問いに「NO」と答えた「No No Boys」と、志願兵「442部隊(日系人のみで編成された部隊)」。高齢になりようやく閉ざしていた口を開いた二世の戦士達。戦争を、体を張って通り抜けて来た彼らだからこそ平和を願う気持ちは大きい。その声をシリーズでお届けする。

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「僕はヒーローじゃないから」と奥ゆかしく語る内藤さんは、91才の高齢とは思えない程しっかりし…

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この筆者が寄稿しているシリーズ