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https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2021/10/6/george-koshi/

ジョージ・コーシ(合志)さん

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「日本語忘れちゃったなぁ」と言いながらも、きちんとした日本語で話すのは終戦直後米国進駐軍とともに日本へ渡り、東京裁判で法務官として活躍したジョージ・コーシさん。92歳(当時)。マッカーサー元帥のもと、新日本国憲法の草案にも寄与した。傍らには占領時代に日本で生まれた長女、ジョイスさんが、数年前他界した夫人、アイさんの写真の前で微笑む。

コーシさんの両親は熊本からの移民。「初めに父が来て、その後(日本にいる)おじいさんが母を世話して送り、こちらに来て初めて父に会ったそうです」と写真結婚を自分のことのように照れながら話す。両親は小作農家を営んだ後、デンバーでホテルを購入し日本人相手に経営する。

コーシさんはコロラド州グリーンリー(デンバー北60マイル)で10人兄弟の3番目、次男に生まれる。6歳の時、兄弟6人は熊本の両親の故郷に送られ、コーシさんは小学校から高校までをそこで過ごした。16歳で帰米し、米国人としての教育を小学校1年生から高校までもう一度やり直した。デンバー大学では法科を専攻。

1940年に徴兵される。キャンプ・サベージでの6カ月の基礎訓練後、一般の歩兵としてさらに6カ月。その後コーシさんは日本語の教官となり、41年4月諜報部員(MIS)としてワシントンDCに配属される。「DCでは日本の歴史、文化を勉強しました。諜報部には日本関係だけでなく、どうしていいか分からない情報がマニラから送られて来たりして。45年、戦後すぐに日本に行きました」

「DCでは日系のMISは私1人でした。後で4人送られてきましたが。ジミー・マツムラ、アーネスト・ヤマネ、ビル・コンドー、沖縄からのケンジロウ。皆で一緒に(進駐軍として)日本に行きました」と当時を思い出す。軍曹として厚木に勤務する。日系人は軍曹以上の位は認められていなかったが、本格的に占領が始まると二世も将校に任命されるようになり、「20人のそれまでの部下が、自分より偉くなってやって来ました」

コーシさんは46年米国軍隊から除隊したが、5月東京裁判が始まると米国軍属の民間の法務官として裁判に参加した。日本人の弁護団と一緒に日本側の弁護に回る。「裁判は全部英語だったんです。日本の弁護士が付いているが英語ができないから、弁護団と一緒に弁護をしたわけです。ちょっと変な状態でした」と苦笑いする。

弁護団は日本人の弁護士、通訳、米国人の弁護士と通訳合わせておよそ20人。米国の法務官という正式名称を持つのはコーシさん1人だった。コーシさんの下には20人のMIS部員が協力した。東条英機大将を初めとするA級戦犯は全員絞首刑との判決を受け、コーシさんの担当したB級、約200人中無罪になった3人を残し、全員終身禁固の判決を受けた。「裁判そのものは公平だったと思います。でも、弁護団は言いたいことを十分に言えなかった。言うチャンスはあったけれど。しかしその公平な裁判の結果有罪になった人たちは、簡単な刑を受けているうちに平和条約(52年)が有効になり、その日に巣鴨(刑務所)が開放されてしまって(終身禁固刑の受刑者は)全員釈放になった」とすっきりしないものも残っているようだ。

「MISでよかったと思います。アメリカ側から見たら、公平な裁判だったし、そのために両方とも努力したんですよ。一緒になんもかんもした」とお気に入りのいすに深々と座り語る笑顔からは、人生の充実感が伝わってくる。アメリカ人の国籍を持つ、日本人の心がわかる日系二世にしかできない職務だった。74年、日本政府から瑞宝章勲三等受賞。

娘のジョイスさんと、勲記を掲げるジョージ・コーシさん

1974年、29年住んだ日本を後にする。長女のいるシアトル市に移ってからワシントン州の司法試験を受け、昨年まで現役の弁護士を勤めた。傍らの壁にかかるシアトル出身の妻、故アイさんの写真の溢れる笑顔からは、「立派な仕事をしましたね。あなたの務めは終わったでしょう。ごくろうさまでした」と囁きが聞こえてきそう。

2004年2月26日昇天。ご冥福を祈ります。

 

*本稿は、2004年『北米報知』へ掲載され、2021年8月20日に再び『北米報知』へ掲載されたものを許可をもって転載しています。

 

© 2021 Mikiko Amagai

軍隊 (armed forces) コロラド州 世代 二世 退役軍人 (retired military personnel) アメリカ合衆国 退役軍人 ワシントンD.C. 第二次世界大戦
このシリーズについて

1942年2月、日本軍が真珠湾を攻撃した2ヶ月後、故ルーズベルト大統領の発令9066のもと、約12万人の日本人、日系人が収容所に送られた。その3分の2はアメリカ生まれの二世達。彼らの生き様は主に2つに分かれた。「アメリカに忠誠を誓いますか」の問いに「NO」と答えた「ノーノー・ボーイ」と、強制収容所から志願または徴兵され「442部隊(日系人のみで編成された部隊)」または「MIS(米国陸軍情報部)」でアメリカ軍へ貢献した若者たちだ。高齢になりようやく閉ざしていた口を開いた二世の戦士達。戦争を、体を張って通り抜けて来た彼らだからこそ平和を願う気持ちは大きい。その声を13回に分けてシリーズでお届けする。

*このシリーズは、2003年に当時はまだ健在だった二世退役軍人の方々から生の声をインタビューした記事として『北米報知』に掲載されたもので、2020年に当時の記事に編集を入れずにそのまま『北米報知』に再掲載されたものを転載したものです。

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執筆者について

東京都出身。2001年から2005年まで北米報知でジェネラルマネージャー兼編集長を務める。北米報知100周年記念号発刊。「静かな戦士たち」、「太平洋(うみ)を渡って」などの連載を執筆。シアトルの二世退役軍人のインタビューが、最も心に残っているという。昨年11月、44年のシアトル生活を終え、現在は東京在住。

(2021年1月 更新)

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