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天海 幹子

(あまがい・みきこ)

@Mamagaii

東京都出身。2001年から2005年まで北米報知でジェネラルマネージャー兼編集長を務める。北米報知100周年記念号発刊。「静かな戦士たち」、「太平洋(うみ)を渡って」などの連載を執筆。シアトルの二世退役軍人のインタビューが、最も心に残っているという。昨年11月、44年のシアトル生活を終え、現在は東京在住。

(2021年1月 更新)


この執筆者によるストーリー

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静かな戦士たち
戦士たちに捧ぐ歌 「静かな戦士たち」シリーズを終えて

2021年12月20日 • 天海 幹子

2002年、二世復員軍人会の理事をしていたトーシ・オカモトさんが北米報知オフィスに現れ、残り少ない「二世ベッツ」の生の声の記事を依頼された。リストは40人ほど。話したがらない方、認知性をわずらってしまった方を抜かし、年長者から2時間に限定してインタビューを始めた。主旨は、アメリカでも一般にはあまり知られていない442部隊とMIS(米軍諜報部員)の事実を英語でインタビューし、日本語で日本の国、日本人に届けることと、彼らの言いたかったことをそのまま記録として残すこと。 「トー…

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静かな戦士たち
岩本 義人(よしと)さん

2021年11月17日 • 天海 幹子

「(戦後の)フィリピンでね、よく日本人に間違えられたんです。アメリカの軍服を着ているのにね。(二世兵士たちと)何人かでカフェーに入っていったら、『日本のお茶、いかがですか?日本の歌は?』って、ピアノに走って行っていきなり『軍艦マーチ』をひきだしたんです。その後は、『支那の夜』をね」と笑って語るのは岩本義人さん。米国諜報部員として日本人捕虜の登録のため、戦後まずフィリピンに送られ、続いて横浜に2年駐在した。もう過去の話だからか、淡々と笑顔で話す。 5人兄弟の4男、ワシントン…

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静かな戦士たち
松井 尭(たかし)さん

2021年11月3日 • 天海 幹子

「『勝てば官軍』だけがねぇ、戦争に負けたものを裁くのは、不公平だとか…。例えば広島に原爆を落としたと、それで何10万人という市民が死んだと。これはこういうことに関わった人たちも戦犯にかけないといけないということを言うんですけど、アメリカは『官軍』だからしょうがないんだよねぇ。そういうことをね、あの当時、東京裁判で言ったアメリカ人もおるのよ。本当はね、判事って言うのはね、連合軍以外の人がやるべきだと」 日本降伏後の横浜でB級裁判にアメリカ軍属の調査官として加わった松井尭(た…

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静かな戦士たち
ジョージ・コーシ(合志)さん

2021年10月6日 • 天海 幹子

「日本語忘れちゃったなぁ」と言いながらも、きちんとした日本語で話すのは終戦直後米国進駐軍とともに日本へ渡り、東京裁判で法務官として活躍したジョージ・コーシさん。92歳(当時)。マッカーサー元帥のもと、新日本国憲法の草案にも寄与した。傍らには占領時代に日本で生まれた長女、ジョイスさんが、数年前他界した夫人、アイさんの写真の前で微笑む。 コーシさんの両親は熊本からの移民。「初めに父が来て、その後(日本にいる)おじいさんが母を世話して送り、こちらに来て初めて父に会ったそうです」…

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静かな戦士たち
ジミー・カナヤさん

2021年9月15日 • 天海 幹子

「戦争(第2次世界大戦)が終っても、退役しなかったんですよ。そのまま軍隊に残って韓国に行きました」。少年時代から軍隊に憧れていたジミー・カナヤさんは朝鮮戦争、ベトナム戦争にも参加し、74年に引退するまで軍隊一筋のベテランだ。 「日本との戦争が終る前から、日本を占領した場合管轄の指揮官養成のためにと、日本の慣習、宗教、日本語の勉強をしていたのですが、二世の僕でさえ『どこに行きますか』くらいの日本語を教えることになって…。ところが、実際に戦争が終ると必要がなくなったらしく、日…

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ミン(ミノル)・ツボタさん

2021年8月29日 • 天海 幹子

「虎年の人は一針以上縫ってもいいんですよ。虎は強いから、縁起がいいでしょう」。そう言って「千人針」を見せながらミン・ツボタさんは説明する。「女の人しかできないんですよ。ツーリ・レイクのキャンプでお母さんがね、作って渡してくれたから、僕は(戦争で)助かったと思う」。心持ち潤んだ、遠くを見る眼がやさしい。収容所で女性に会うたびに一針づつ頼んで回ったという、赤い玉縫いが千個も几帳面に並んだ生成り(きなり)の帯は、ところどころに小さな染みが付いているものの、まだほとんど新しい米袋で…

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ポール・ホソダさん

2021年6月16日 • 天海 幹子

「平等と公正さ、それが僕にとっては考え方の出発点になっているんです」と語るポール・ホソダさんの土台には高校時代から触れていたキリスト教の思想がある。「神の下では全ての人間は平等である」と強く信じるホソダさんの傍らには、48年連れ添ったメアリー夫人が微笑む。 2人はホソダさんが除隊後通い出した、シアトルのブレイン・メモリアル・合同メソヂスト教会で知り合った。「最初は女の子を探しに行ったんですよ。教会は人に出会うにはもってこいの場所だから」と照れながらも、現在も2人は教会…

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ミツル・タカハシさん

2021年4月21日 • 天海 幹子

「ブロンズ・スター(勲章)はあんまり意味がないんですよ。戦争に行った人はだいたいもらえるから。これがシルバー・スターで、これがパープル・ハート(名誉戦傷勲章)。ドッグ・タッグ(兵士が首から下げる「犬の鑑札」と同じ様なID札)。これが大統領からの感謝状。そしてこれは除隊証明書」と額に入った数々の記念品を指して笑顔で説明するミツル・タカハシさん。ミネドカ(*)収容所の高校からスイート・ハートだった、奥さんのジューンさんがまとめてくれた額だ。 「どこを怪我したんですか」との…

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パット・ハギワラさん

2021年4月7日 • 天海 幹子

「僕はラッキーだったと思いますよ。アラスカで生まれてからずっとね。小さなコミュニティだったから、お互いをよく知っていて、学校なんかも幼稚園から高校まで1つの校舎でね。日本人が9軒か10軒集まっていたメインストリートのステッドマン街では、冬は店を閉めて、子供たちが坂の上からそりで滑ってくるんですよ」 まるで昨日の事に様に楽しそうに話すのは、パット・ハギワラさん(84)。アラスカ州兵軍から442部隊に送られた4人の二世兵士の1人だ。物静かな日常を好む、穏やかな日系人というイメ…

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アート・進(ススミ)さん

2021年3月24日 • 天海 幹子

「恐くはなかったですよ。戦争で周りに死んだ人を沢山見ていましたからね」と語るのは22歳で葬儀屋になったアート進(ススミ)さん。亡骸(なきがら)と同じ屋根の下で眠るのは恐くなかったかの問いの答えである。第2次世界大戦では442連隊部隊で活躍し、ブロンズ・スター賞を受けたススミさんは全米でも数少ない、ワシントン州では唯一の日系葬儀屋のディレクターを43年務め、91年にそのERバターワース葬儀社を退職した。戦争が、若かったススミさんのその後の人生に少なからず影響していることは事実…

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