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第3回 日本文化放送

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ラジオ局KRKDの電波塔は今でも、ダウンタウンのランドマークとして親しまれている

ロサンゼルスのブロードウエーと5番街にほど近いアーケード・ビル屋上にそびえ立つ、KRKDのネオンサインの付いたアンテナ鉄塔は長年にわたりダウンタウンのランドマークとして親しまれている。KRKDは戦前にはこのビルの3階にスタジオを有し、毎週月曜日の夜に日本人が集まり30分の日本語番組を放送していた。このように在留邦人にはおなじみの放送局であった。

KRKDで日本語放送が開始されたのは1932年9月のことである。当初「日本人ラデオ放送協会」と称したこの番組を主宰したのは、羅府新報記者の杉町八重充および同紙英文欄編集長のルイーズ須々木である。新聞社の業務として行われたものではないが、当初は羅府新報の住所を連絡先としたり、独占的に番組表を掲載したりするなど、同紙のバックアップがあったと思われる。

初日の番組では羅府第一学園を卒業したばかりの鬼頭文子がアナウンスを担当し、迎田羅府日会長、安倍中央日会長、佐藤領事などの祝辞と井上協子の独唱、ジミー山本のバイオリン演奏が放送された。地元日系社会の有力者が並んでおり、単なる商業的な番組との違いが感じられた。当初の番組には若い二世音楽家や日本語学校生徒を積極的に出演させていたが、そのうちに日本のレコードを使用した娯楽的な要素を増やしていった。

放送が始まってひと月を過ぎた10月6日、リトル東京の中華料理店三光樓で今後の日本語放送のあり方が話し合われた。その結果、体制固めのために法人設立をすることおよび名称を日本文化放送協会に変更することが決定された。

1937年元日発行の『加州毎日』の新年号に掲載された日本文化放送協会の広告

放送協会の顧問には帝国領事を筆頭に日本人会会長、邦字新聞社長、日本語学園長、有力商店主がノミネートされた。実際の番組運営は杉町、須々木に加え前田輝男(羅府新報記者)、栗原芳幸(羅府第一学園教師)、田代愛子(ピアニスト)、鬼頭文子、尾座本導、村田五郎(加州毎日新聞記者)、三宅朋之(池田貿易商会)、前野安雄(弁護士)があたった。それまでの日本語番組とは大きく異なる本格的な業務体制が構築された。

34年には邦字新聞担当の時間が新設され、『羅府新報』、『加州毎日新聞』、『新日米新聞』が交代でニュースを放送した。「東本願寺別院開教記念番組」「釈尊降誕花祭り放送」「西本願寺別院お盆法要特別番組」といった宗教番組も放送された。キリスト教に関しては、1937年11月からはロングビーチのKGERから日曜文化放送として合同教会の渡辺宗三郎牧師が担当する説教と各種レコード演奏を主体とする新しい番組が開始された。

1936年2月21日付の『羅府新報』に載った番組案内

34年9月には業界誌の『ブロードキャスティング』誌がこの番組を取り上げた。そこでは、開始時・終了時には英語でリトル東京地区への来訪を呼び掛けていたことや、番組開始後45日間で500台のラジオがリトル東京で売れたことが紹介されている。

番組には多彩な人物が集まり、巣立っていった。初期の英語アナウンスを担当したチャールズ吉井は35年に日本放送協会が海外放送を開始した際の英語主任アナウンサーとなった。ストーリー仕立ての放送劇に出演していた加州毎日新聞記者の村田五郎は『ジャパン・タイムス』の編集長や取締役を歴任した。

加州毎日新聞の『年鑑』(1939ー1940)に掲載された日本文化放送協会の広告

多数のラジオドラマや講演を担当した加州毎日新聞記者の田辺英二は羅府日系市民会長や南加日系人商議会頭を務めた。ティーブ釜萢(かまやつひろしの父親)は32年10月24日の番組でウクレレとバンジョーによる「セントルイス・ブルース」他のソロ演奏でラジオデビューし、その後日本でジャズ・ミュージシャンとして活躍した。バリトン歌手で古賀政男作「二世行進曲」の歌手として人気を得た板野雪人は放送協会の日本語アナウンサーとなった。

このように邦人社会にとって欠かせない放送となったが、アメリカ人社会からは番組に対する抗議文が多数寄せられたという。杉町はこれらの抗議に丁寧な対応を行い、日米開戦直前まで日本語番組は継続して放送された。

第4回 >>

 

*本稿は、『日本時間(Japan Hour)』(2020年)からの抜粋で、『羅府新報』(2021年4月24日)からの転載です。

 

© 2022 Tetuya Hirahara

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このシリーズについて

1921年にいち早く商業ラジオ放送を始めたロサンゼルスでは、1930年から定期的な日本語ラジオ放送が始まった。シアトル編に続き、今シリーズでは戦前ロサンゼルス地域での日本語放送の歴史を全5回に分けてたどる。

*本シリーズは、平原哲也氏の著書『日本時間(Japan Hour)』からの抜粋で、『羅府新報』からの転載です。

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シリーズ「日本時間 ~日本語ラジオ放送史~」

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執筆者について

中学生の頃から外国の短波放送を受信する趣味を始める。ラジオ全般の歴史にも興味を持ち、近年は南北アメリカ大陸で放送されていた日系移民向けラジオ番組の歴史について調査している。2020年に北米大陸で戦前に行われていた番組を紹介する『日本時間(Japan Hour)』を自費出版。

(2022年 9月更新)

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