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日本時間 ~日本語ラジオ放送史~ 《ロサンゼルス編》

第1回 日本語放送前史

アメリカにおける商業ラジオ放送は1920年にピッツバーグでKDKAが開局したことに始まる。ロサンゼルスでは21年10月に認可されたKQLが嚆矢(こうし)である。翌年6月時点では25局が林立するほどまでになった。当時は放送に割り当てられた周波数が833kHz一つに限られていたため、各局で曜日と時間を調整しながら短時間の放送を行っていた。

1922年7月11日発行のロサンゼルス・タイムズで取り上げられた梅崎スガ子

ロサンゼルスで定期的な日本語ラジオ番組が開始されたのは1930年であるが、それ以前にも日本人のラジオ出演が見られる。まずは世界の共通言語と言われる音楽の分野を見ていこう。筆者が調べた限りでは、この分野のパイオニアと思われるのがメゾソプラノ歌手の梅崎スガ子である。梅崎は長崎県出身で1910年代初めに音楽の勉強をするために渡米した。シンシナチ音楽院を卒業後、1917年頃にロサンゼルスに移り、教会での公演活動や声楽教師をするかたわら羅府新報で働いていた。

その梅崎が1922年7月11日にロサンゼルスタイムズの運営するKHJの音楽番組に出演した。日本語で「蝶々」と「出雲の子守歌」を、英語で「トワイライト」と「ザ・バレー・オブ・ラフター」を歌った。日本語曲は作曲家のゲルトルード・ロスが「大和調べ」(The Art Songs of Japan)として出版した楽曲集に収められているもので、この放送ではロス自らが伴奏を行った。

また、1924年1月4日には「吾らがテナー」として日本でも人気の高かった藤原義江がKHJに出演した。後日藤原がKNXで「叱られて」や「さくら」を歌った時、リトル東京の角田楽器店が宣伝を兼ねて「店頭ラジオ」を設置したところ、数多くの聴衆が集まり大にぎわいであったという。

1925年に入ってからぽつぽつと邦字新聞にも日本人のラジオ出演の話題が掲載されるようになった。この頃の紙面ではラジオ(ラヂオ、ラデオ)や放送局という言葉も使用されているものの、まだその使い方が定着しておらず、富尾百貨店主の次女米子がラジオ出演した際には、「アントニーの無線電信所の放送口に立って米子さんは其の得意のヴァイ〔オ〕リンをやる」(『羅府新報』1925年2月20日)という面白い表現がされている。ちなみに放送局はコールサインよりも運営者名の方がピンとくる時代で、「アントニーの無線電信所」とはアール C. アントニーの運営するロサンゼルスのKFIのことであった。

富尾米子の記事(『羅府新報』1925年2月20日)

その他1920年代には巽清次郎(テナー)、宮内四郎(バリトン)、石神たかね(ソプラノ)、井上協子(ソプラノ)、杉町みよし(ソプラノ)、薩摩丈夫(テナー)、内藤ちかえ(ハープ)、綿貫誉(ハーモニカ)などの音楽家がラジオに出演し、ロサンゼルスの空にそのメロディーを届けた。

珍しいところでは、観世流能楽師の泉泰一郎の謡曲放送がある。泉は1927年7月にロサンゼルスの南加謡曲会の招きで渡米し、1年間の予定で在留邦人に対して謡曲や仕舞などの指導に当たっていた。その間、2回にわたりラジオに出演した。1927年8月にKFWB(ワーナー・ブラザーズ放送局)で「楊貴妃」を謡った時には、イタリアのオペラ歌手カルーソーに比せられ大絶賛を浴びたという。また、1929年3月から西海岸各地で公演を行っていた筑前琵琶の高倉旭子が日米興行と帝国貿易商会のアレンジにより、「湖水渡」と「蓬莱山」を同年6月にKFWBから放送したのも快挙であった。

一方で、日本語のメッセージが初めて流されたのは宗教の分野であった。1925年11月12日、本派本願寺法主大谷尊由師が行ったKHJでの講演である。仏教の神髄を多くの人に聴いてもらうため、そのメッセージは英語にも通訳された。1929年6月には3回にわたり今井革牧師がKTBI(聖書会館放送局)に出演した。今井牧師はもともと真言宗の住職であったが、病気療養中にキリストの教えに接し、キリスト教へ改宗した経歴の持ち主で、その著書「私の改宗の動機」に沿った説教を行った。

第2回 >>

 

*本稿は、『日本時間(Japan Hour)』(2020年)からの抜粋で、『羅府新報』(2021年4月15日)からの転載です。

 

© 2022 Tetsuya Hirahara

Japanese languages Los Angeles prewar radio

このシリーズについて

1921年にいち早く商業ラジオ放送を始めたロサンゼルスでは、1930年から定期的な日本語ラジオ放送が始まった。シアトル編に続き、今シリーズでは戦前ロサンゼルス地域での日本語放送の歴史を全5回に分けてたどる。

*本シリーズは、平原哲也氏の著書『日本時間(Japan Hour)』からの抜粋で、『羅府新報』からの転載です。

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シリーズ「日本時間 ~日本語ラジオ放送史~」