https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/369/
ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)
(英語)私達が住む社会はものすごく大きく変化するものだと思います。個人的には、戦争で(社会が)がらっと変わったと考えています。戦争の結果(人々の)考え方や、もちろん技術などあらゆるものが大きく変化しました。ジェット機が出来たりしましたしね。これら全てが私達の生活に大きな影響を与えました。人々の考え方(の変化)という点では、第100歩兵隊や442連隊のめざましい活躍により、私達(日系人)全員が本来、アメリカ社会でそう受けとめられるべき立場だった、忠誠なアメリカ人として受け入れられるようになったことです。
前にも申し上げたとおり、ハワイが(合衆国の)州として確立したことはハワイにとって非常に良いことでした。しかしそれ以上に、ハワイは外国ではないという(認識が広がり)合衆国全体に大きな影響を与えたのです。私は戦後まもなくしてミネソタ州のどこか地方の学校に行きましたが、地元の人たちはアジア人を見たことがなく、私をいつも外国人だと思っていました。ミネソタ大学でさえもそうでした。私が住むところを探していると「外国人留学生の住宅地域に行ったらどうですか?そこだったらもっといいアパートがあるかもしれませんよ」と言い出す始末ですから(笑)。どうやら外国人学生としての資格はあったみたいですね。 私は「復員兵援護法(第2次世界大戦の復員軍人に対する援助優遇立法。大学への優先入学、授業料免除などの得点がある)」(の適応を受けて)大学に来ていました。
個人的な見解ですが、これらのことは私達がアメリカ社会に受け入れられる助けとなったと思います。あれから私達は更に受け入れられるようになりました。これは大きな社会変化です。前述したとおり(合衆国の)州として確立したことはハワイにとって大きな意味をもたらしました。恐らく我々(ハワイの人たち)の精神や考え方に影響を与えたと思います。でもそれより大きな影響があったのは、世界の国々、そして特に合衆国の他の州だったと思います。「ハワイは外国ではない。ハワイに行く時は外国通貨を持っていく必要はない」とね(笑)。一部の人たちがそう思っていたのは本当のことです。
日付: 2004年3月18日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: ミシェル・マキ
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
リチャード・ヒロミチ・コサキ博士(1924年9月14日に生まれ)は、ハワイ州ホノルルで育ち教育を受け、人生の大部分をハワイで過ごしています。第二次大戦中は、陸軍情報部(MIS)に所属し指導教官として務めたほか、アメリカ占領下の日本で通訳として従事しました。1948年ハワイ大学の学部課程を卒業、その後、ミネソタ大学で修士号と博士号を取得しました
博士課程終了後、ハワイ大学で教鞭をとるために再びハワイへ戻った彼は、コミュニティ大学の副学長、西オアフ単科大学学長、学術事務局の副局長、ハワイ大学マノア校学長代理、東海大学ホノルル校学長など勤めました。また、イースト・ウェストセンターの設立やハワイ大学のコミュニティ大学システムの確立にも貢献しました。彼の最も好きな教育哲学は「話してください、私は忘れてしまいます。教えてください、私は覚えます。やらせてください、私は学びます。」です。
コサキ博士はミルドレッド(旧姓:ドイ)と結婚し、1962年に一人息子ランドルを授かりました。(2004年3月19日)
より良い生活への誓い(英語)
第二次世界大戦・朝鮮戦争の退役軍人 (1919 - 2006)
強制収容以前に経験したトラウマ (英語)
南カリフォルニアの産婦人科医(1913-2013年)
「みんな、盲従した」 (英語)
フォート・マクラレンの兵士たち(英語)
第1800工兵部隊の一員。戦後本田の輸出部にて、アメリカと日本の貿易を促進(1919-2020年)
日系二世の医師が受けた差別 (英語)
一世医師の娘(1928-2016年)
家族に認められたこと(英語)
漫画家(1953年生)
玻満子に対する家族の反応(英語)
アメリカ陸軍情報部隊員(1916-2013)
戦後の差別の経験 (英語)
花屋 (1916-2016年)
ポストン収容所での記憶(英語)
(1930年生)アメリカと日本両国で育った日本人とアメリカ人とのハーフ
ポストンへの到着(英語)
第442連隊戦闘団のハパ仲間(英語)
(1918-2022年)ハパ第二次大戦退役軍人、パイロット
第522野戦砲兵大隊とダッハウ強制収容所(英語)
第442連隊戦闘団(英語)
ユダヤ系日系アメリカ人ジャーナリスト
エド・サリヴァンの「ザ・オールネイビー・ショ-」への出演(英語)
ハワイ出身のウクレレ奏者(1934年生)
『Song for Anna』(英語)