ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/239/

家族に恥をかかせないように (英語)

(英語) もちろん僕たちは日系アメリカ人社会で育ったので、家族に恥をかかせないように、自分の行動はすべて家族に影響を及ぼすんだからって、いつも言われてました。そういう類の忠告をよく受けてましたよ。

ある日、地元の二世の男の子-多分僕より少し年上だったと思いますけど-が家出したんです。その地域には孤児院が一軒あって、そこの子供たちは地元の学校へ通ってて、僕のクラスメートだったんです。ある日どうやらその(地元の)男の子と孤児院の子供たちが逃げ出したんです。彼らが何をしていたのか、何をしたのかは覚えてないんですけど、その地域の大きなうわさの種になったんです。

この一件は家族に恥をかかせないための教訓になっています。 僕が育った地域は、日系アメリカ人又は日本人、そして日本人以外の人種が半分半分の割合で住んでいたんです。(日系人・日本人の)うち4分の3が二世でした。僕たちは多数派だったんです。しかし、まだ人種差別の傷の痛みは残っています。


コミュニティ 差別 アイデンティティ 対人関係 人種差別

日付: 2004年1月7日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: アート・ハンセン

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ジェームス・ヒラバヤシ氏は、20世紀初期に米国北西部太平洋岸に移住した勤勉な農民の息子として生まれました。1942年、当時高校3年生だったヒラバヤシ氏は、パインデール集合センターに一時的に拘留されましたが、その後北カリフォルニアのツールレイクの収容所へ移送、抑留されました。

第二次世界大戦後、シアトルのワシントン大学で人類学の文学士号(BA)と文学修士号(MA)取得し、その後ハーバード大学で博士号(Ph.D)を取得しました。現在はサンフランシスコ州立大学の名誉教授であり、合衆国で初めて設立された民族研究学部の学部長を務めました。そのほかにも、東京大学やアルバータ大学(カナダ)、アーマド・ベロ大学(ナイジェリアのザリア)での研究・教歴を持っています。

ヒラバヤシ氏は、2012年5月1日、85歳で亡くなりました。(2014年6月)

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カミングアウトが家族に与えた影響

(1957年生まれ) ハワイ州最高裁判所判事。