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FBI捜査官が両親不在時に家に来たこと(英語)

(英語)その日曜日、父は川柳会の会合に出かけていました。リトルトーキョーのマネキというレストランだったと思います。FBI捜査官が来たのは――確か真珠湾攻撃は早朝かなり早い時間でしたね――そのたった数時間後でした。3人の捜査官が父を訪ねてきました。私たちは、「ここにはいません。リトルトーキョーに居ます」と答えました。

捜査官2人が家の中に入ってきて、1人がこう言ったのを覚えています。「ようし、お前たち」。手には銃を持ち、「そこに座れ」と言いました。誰が来たのか戸口に見に行ったのは、兄のトッシュ、弟のジョーと私でした。母はまだ教会で、家に居たのは私たち3人と病気だった兄のマイクでした。この1年前、マイクは日本に行って結核にかかり、二階で寝ていました。「家の中に他に誰かいるか」と捜査官が聞くので、「はい、二階に兄がいます」と答えました。捜査官は、「ここに連れてこい」と言いました。9歳だったジョーが飛び上がって階段を上がろうとしました。すると捜査官は、「いや、座ってろ。ここから呼べ」と言いました。私たちはマイクを呼びました。マイクはバスローブ姿で下りてきて私たちに合流し、私たち4人はソファの上で小さくなって座っていました。

捜査官の1人が、銃を握ったまま私たちの真ん前にあるオットマン(足載せ台)に座りました。私たちが何をしようとしているとこの捜査官は思ったのか、私には分かりません。


カリフォルニア州 連邦捜査官 リトル東京 ロサンゼルス 捜索と押収 アメリカ合衆国 第二次世界大戦

日付: 2018年8月7日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: シャーロン・ヤマト

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1923年、母親の里帰り中に日本で生まれる。ワシントン州シアトルで育ち、第二次世界大戦開戦後、アイダホ州のミニドカ強制収容所に収容される。クエーカー教徒のボランティアに助けられ、オハイオ州シンシナティの仕事を得て収容所を出る。シンシナティ大学を経てニューヨーク大学で文学士を取得後、シカゴ大学で文学修士号を取得する。

移民国籍法が通過した後米国に帰化し、1955年に米国籍を取得した。

幼少期から詩を書き続け、1976年に『ミニドカ』、『収容所ノート』、『その他の詩』の作品を収録した最初の本を出版した。39歳の時に健康上の不安を乗り越えて教師として働き始め、その後多くの本を出版した。

カリフォルニア州アーバインで人権擁護グループの設立を支援し、その結果1980年代にアムネスティ・インターナショナル理事会メンバーに選出された。その後多くの人権擁護活動に積極的に参加し、特に女性の人権擁護活動で知られるようになった。(2018年8月)

Kazumu Naganuma
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カズム・ナガヌマ

妹のキヨは彼にとって第二の母親のような存在だった

クリスタル・シティに収容された日系ペルー人(1942年生)

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Mia Yamamoto
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ミア・ヤマモト

父親の影響

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

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