ディスカバー・ニッケイ

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『収容所ノート』の出版に至ったいきさつ(英語)

(英語)カリフォルニア大学アーバイン校の恩師に、「サンフランシスコから詩人が2人来るのだが、君の家に2人泊められる?」と聞かれました。2人を招待したものの、ホテル代に充てる経費が足りませんでした。「そうですね、居間の長椅子で寝てもらうのでもよければ」と言いました。

サンフランシスコでシェイムレス・ハシー・プレス(恥知らずな尻軽出版社)を先んじて始めたアルタと、彼女の当時のボーイフレンドが来ました。居間でおしゃべりをしていたとき、アルタがこう言いました。「あなたが詩を書いているってボブに聞いたんだけど、作品はまとまった数あるの?」彼女は、私の作品を数編読んだことがありました。それらは興味深い作品でした。それで私は、「うん、靴箱一杯の詩があるよ」と言って出しました。彼女は目を通しました。彼女とエンジェル、当時のアルタの夫が目を通し、「本当に素晴らしい」、「出版したい」と言いました。

翌日アルタは、「エンジェルと話したんだけど、詩を全て出版したいと思う」と言うので、「冗談でしょ」と答えました。すると彼女は、「シェイムレス・ハシー・プレスは完全に軌道に乗ったわけじゃないけど、何冊か出版しようと思っている」と言うのです。サンフランシスにはゲイの若者や、まだ作品が世に出ていない人々がいました。アルタに、私の詩を20編持ち帰ってもいいかと聞かれました。それが『収容所ノート』の土台となり、1976年、シェイムレス・ハシー・プレスから初めて本が出ました。


収容所ノート(書籍) 文学

日付: 2018年8月7日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: シャーロン・ヤマト

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1923年、母親の里帰り中に日本で生まれる。ワシントン州シアトルで育ち、第二次世界大戦開戦後、アイダホ州のミニドカ強制収容所に収容される。クエーカー教徒のボランティアに助けられ、オハイオ州シンシナティの仕事を得て収容所を出る。シンシナティ大学を経てニューヨーク大学で文学士を取得後、シカゴ大学で文学修士号を取得する。

移民国籍法が通過した後米国に帰化し、1955年に米国籍を取得した。

幼少期から詩を書き続け、1976年に『ミニドカ』、『収容所ノート』、『その他の詩』の作品を収録した最初の本を出版した。39歳の時に健康上の不安を乗り越えて教師として働き始め、その後多くの本を出版した。

カリフォルニア州アーバインで人権擁護グループの設立を支援し、その結果1980年代にアムネスティ・インターナショナル理事会メンバーに選出された。その後多くの人権擁護活動に積極的に参加し、特に女性の人権擁護活動で知られるようになった。(2018年8月)

ドリス・モロミサト

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