ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1627/

賠償について思うこと(英語)

(英語)謝罪はもちろんのこと、賠償そのものは非常に妥当なことと思います。でも、賠償は遅きに失したと感じました。実際米国政府にとって、賠償は責任逃れのための楽な方法でした。「我々の清算は済んだのだから、もう文句は言うな」というね。私はそんな風に感じましたが、とにかく賠償は行われました。それが助けになった人もたくさんいます。


リドレス運動

日付: 2018年5月14日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ジョン・エサキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1935年6月29日、カリフォルニア州サリナス生まれ。父親は戦前から農業ビジネスを共同経営し、戦時中アリゾナ州ポストンに強制収容されていた間も電話や電報を利用し、ビジネスパートナーに助けられながらビジネスを続けた。ポストンから戻った一家はカリフォルニア州ロス・ガトスに移住し、農業ビジネスを継続した。トムはサンタクララ大学に進学し、米軍に入隊後、軍需品担当将校としてフランスに駐留した。ユキ・ファームのマネージメントパートナーの仕事をトムに継がせるつもりだった父親は亡くなり、その時トムは企業の契約管理者の仕事をしていた。トムは、全米日系人博物館での理事など、これまで多くの団体で役員を務めてきた。(2018年12月)

カズム・ナガヌマ

彼の妹は家族のために賠償金を確保した

クリスタル・シティに収容された日系ペルー人(1942年生)