ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1365/

エディー・カマエに出会いウクレレの演奏に目覚める(英語)

(英語)12歳のとき、エディー・カマエ氏と出会いました。彼は十代後半、19歳くらいでした。そして素晴らしいことに、このコーヒーショップで私のために演奏してくれたんです。ウクレレがあんなに素敵な音を出すことができるということに衝撃を受けました。全部、複雑で難しい演奏でした。

カマエ氏はダブル・ピッキングのような多くの技を取り入れていました。[演奏] それから、学校のない毎週末に演奏を見せて欲しいとお願いしました。カマエ氏は実際にこうしろ、ああしろとは言いませんでした。演奏をしてくれ、私はそれを見て多くを学んでいったのです。

彼が弾き始めるのは全てラテン音楽のようなものでした。[演奏] 

最終的に、私は彼のスタイルで彼のように音を奏でられるようになりました。カマエ氏は、自分の演奏法を見つけた方が良いと言いました。誰かのをコピーするのは、そんなに良いことではないと。しかし何事にも言えるように、初めはそれをしなければなりません。自分が素敵だと思う人を真似るのです。

それでカマエ氏は私の面倒を見てくれ、学ぶ機会を与えてくれたのです。


ハワイ 音楽 楽器 音楽家 ウクレレ アメリカ合衆国

日付: 2012年8月

場所: 米国、ハワイ州

インタビュアー: ジョン・エサキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

78歳。日本、そして世界中のウクレレファンに“Ohta-san(オオタさん)”として知られている。オオタさんはウクレレの名奏者で、ホノルルで第二次世界大戦以前に母親から演奏の仕方を教わる。1960、70年代にウクレレを世に広め、ハワイアン音楽だけでなくインターナショナルなポップやジャズにまでそのレパートリーを広げた。インタビューの中で、オオタさんのキャリアにとって重要であった曲の抜粋を演奏し、そのスタイルの発展をありありと見せてくれる。(2014年6月)

本郷悦男

日本文化の伝統としての太鼓の音

太鼓奏者。南カリフォルニアで5つの太鼓グループを結成(1949-2019年)

リチャード・コサキ

ワイキキで育った経験(英語)

ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)

リチャード・コサキ

真珠湾攻撃の後の救急ステーションでの仕事(英語)

ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)

リチャード・コサキ

真珠湾攻撃の後の疑惑(英語)

ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)

リチャード・コサキ

第2次大戦後の人々の変化(英語)

ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)

田中誠一

アメリカで太鼓を始めた理由(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

田中誠一

緊那羅太鼓との出会い(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

田中誠一

太鼓とはっぴ(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

田中誠一

伝統的太鼓スタイル(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

田中誠一

日本の音楽教育(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

田中誠一

アメリカの太鼓と日本の太鼓の違い(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

田中誠一

夢-「太鼓」が英語の辞書に(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

アリス・スミダ

『青い目の人形』

アメリカ最大のグラジオラス球根農園の設立者 (1914-2018)

マイク・シノダ

初めての作曲(英語)

ミュージシャン、プロデューサー、アーティスト(1977年生)

マイク・シノダ

日系人収容所に対する家族の見識(英語)

ミュージシャン、プロデューサー、アーティスト(1977年生)