前回は奥田平次と伊東忠三郎の功績についてお伝えした。連載最終回となる今回は、日米親善に努めた日系人についてお伝えしたい。
1937年の日中戦争勃発以後、アメリカ側から日本製品不買運動や日米通商航海条約の廃棄通告があったことは、シアトル在住日系人の社会にとって非常に住みにくい環境をもたらしたと言える。しかしシアトル日系人はこの苦境の中で常に日米親善を果たそうと懸命に努力した。
日本品ボイコット運動
「バンクーバーの埠頭で反日デモ」(1937年11月19日号1)
「日本品を積んでいるカナダ太平洋汽船のエムプレス・オブ・カナダ号が入港する直前シー・ビー埠頭に約50名の男女が集り『日本商品を買ふな』とか『日本商品をボイコットせよ』とか言ふプラカードを担ぎピケットを始めたので警官隊と衝突、男22名、女4名が逮捕投獄された」
「日本品不買の是非、華(ワシントン)大で公式討論」(1937年12月2日号)
「華大内で宣伝されてゐる日本品ボイコット問題は華州『コモンウエルス・フェデレーション』や支那側の策動などがあって愈々猖獗(しょうけつ)を極むる感あり、邦人学生側より逐次の論駮(ろんばく)交渉を重ねた結果、本日午後四時、之が公式討論が大々的に行はれ、日米支側から各代表を送って問題の是非を論ずる事になり、華大日本人学生クラブ側は対策に遺憾なきを期して居る。
一方教授会一般の意向として本朝大学機関紙に紹介せられた所は極めて我方に好都合で、殊にガウエン博士は日本品ボイコットの不都合なるを強く指摘して我立場を擁護して居る。又華大日本協会は例のハワード・マーチン博士を招いて一部支那の言ひ分を聞く事になって居る為め、之が反撃も大いに期待されて居る。
大学側調査の結果によると全女学生の24%が日本品ボイコットに賛成して居り、目下来沙中の学舎博士を中心とする支那側宣伝に極めて積極的なるものありに鑑み、邦人学生クラブでは、岡丸、高木、久保、久賀、高橋の諸委員を挙げて懸命の工作を為して居ると」
「シアトル市会へ日本製品不買の決議案、デレシー議員が提出」(1937年12月28日号)
「先般領事館前でデモをやった華州コモンウエルス・フェデレーションの指導者格となって日本品ボイコットを叫ぶ市会議員のデレシーは昨日の市会に『市会は世界平和の克復とシアトル港と東洋間の貿易関係回復を熱望するシアトル市民に、日本が対支侵略を中止し、国際侵略政策を放棄するまで、生糸を始め、日本からの製品をボイコットすべき事を慫慂(しょうよう)する』決議案を提出したが委員会附託となった。
タイムス紙の報道する處によると市会はデレシーの日本品ボイコット決議を冷淡な態度で迎へ、レヴァインの動議でデレシー自ら提出するまで取り上げぬ事になったと言ふ」
本稿第3回でお伝えしたように、このような日本品ボイコット運動にもめげず、シアトル日本町の商店街は1938、39年の年末大売り出しで、日米親善を掲げて明るく日本製品の宣伝をした。
「歳末のお買い物案内広告」(1939年12月12日号)
「クリスマス御贈答品は日本品をドウゾお用ひ下さい。日米親善増進の為に、母国同胞援助の為に」
日米通商航海条約の廃棄通告
1939年7月27日にアメリカから突如、一方的に日米通商航海条約廃棄の通告があった。在留邦人の居留、営業に対する差別待遇が出てくるのではないかと、多くの日系人に不安と衝撃を与えた。
「日米通商航海条約、米国より廃棄通告」(1939年7月27日号第1面)
「ドーマン米国代理大使は本国政府の訓令に基づき、27日正午外務省に吉沢アメリカ局長を訪問、6ケ月の予定を以って現行日米通商条約を廃棄する旨通告した。同時にその理由として最近、日本綿製品の対米輸出旺盛で米国政府が民間側の要求によってこの措置に出たものであると釈明、了解を求めた。
これに対し吉沢局長は米国が突如斯かる措置に出た事は対日挑戦行為と認めざるを得ないとして厳重にその反省を求めるところあった」
「条約廃棄通告と在米同胞の立場、よろしく自重されよ。石出シアトル領事代理の演説」(1939年7月29日号)
「石出シアトル領事代理は昨日開催された西北部日会協議会にて演説されたが日米通商条約廃棄通告に関し、大要左の如く述べられた。
『一昨日7月27日、米国政府が突然に日米通商条約の一方的廃棄通告を発したのは支那事変に対しては因より、在米同胞に対し直接且重大な影響を及ぼす處あること看過し得ない。本条約の失効後米国のとるべき対日措置は勿論、正確な予想は難しいが軍需品其他の対日輸出制限、関税引上げに依る日貨の輸入制限と云ふ様な手段も考えられ、又極端な場合としては、在留邦人の居住、営業に対する差別待遇なども考へられぬことはないが、これは勿論最悪非常の場合であって徒らに戦々競々するには当らぬ。只此際我々の心掛けとしては当局の善処に期待し無用に米国人を刺激し、排日の題目などを与へぬ様充分自重が肝要と思ふ』」
「同胞営業者はどうすればよいか」(1939年7月31日号)
「日米通商航海条約の廃棄通告により、新契約が締結されざる限り、来年1月26日以降、日米間は無契約状態に入るのであるが、最悪の場合を予想し法律通信の渡辺主一氏は左の如く語った。
『現行日米通商条約廃棄効力発生以来商業に従事する在留邦人に対する法律上の保護は、国際法、合衆国法及び州法の規定又は解釈の範囲内に収縮さるゝものと覚悟せねばなりません。日米両政府間に於て条約終止前に何等取極を見ざる場合は、華州土地法の一般的適用を受けることになり、世襲及び抵当又は債権執行により収得されたる定期所有権を除き悉(ことごと)く禁止さるべく、ホテル、アパートメント、グロサリー、ダイオーク其他の営業地のリースが出来なくなり、恰も現在の農家と同様の立場に置かるることになります(中略)』
渡辺氏が語る如く最悪の場合には現在の農家の立場と同様な立場に置かれるが、既に第一世の時代は過ぎ、第二世時代に入ったのであるから、最悪の場合が来れば第二世の進出を早める結果となり同胞社会の実業方面には大した影響なしと看る向きもあり、悲観するに当たらず。日商でも最悪の場合を予想して万全の策を考究するものと思はれるから自重が肝要である」
第15回でお伝えしたように、二世たちが政治的活動をするために作り上げた日系市民協会は二世の選挙権獲得に向けて活動し、無契約時代に備えた。
当時、鹿児島にいた有馬純清前社長は日米条約廃棄通告につき次のように述べている。
「米国の日米条約廃棄通告」(1939年8月16日号)
「米国が去る7月26日、突如として日米通商航海条約の廃棄を我日本に通告したことは、我朝野の神経を刺激すること頗る強度である。特に在米同胞は所謂青天の霹靂の感があるであらう。日米条約が廃棄さるれば、6ケ月後の来年1月以後無契約となるから、在米日本人は一層不利な位置に立たされることゝなる。
これを機会に日本人排斥が火の手を挙げる恐れがないでもない。併し米国政府としては敢て無条約になったからといって直ちに日本及び日本人を継子扱ひにする意思はなく、更に時代に即した新条約の締結を提議するであらうと思はれる」
(記事からの抜粋は、原文からの要約、旧字体から新字体への変更を含む)
注釈:
1.特別な記載がない限り、すべて『北米時事』からの引用。
*本稿は、『北米報知』に2023年3月27日に掲載されたものに加筆・修正を加えたものです。
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