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教科書問題
『北米時事』の1919年2月13日号1の記事には、国語学校で使う教科書について話し合いがもたれたことが記されている。
「シアトル国語学校にては兼て教科書編纂の議あり。学務委員会にてしばしば協議の結果当ワシントン州各地国語学校教師並びに維持会役員、学務委員等の意見を徹して最後の決定をなし編纂に決せば協同事に当ることゝなりたるより、一昨日実業倶楽部に於て州内15校当事者会を催したるが、出席者は8校を代表せる。
植村(スポ―ケン)、槇山、山下(ケント)、住吉(ウインスロー)山際(ベルビュー)、木下、及川(ファイフ)、友貞(オロリア)、柿原(ポートブラツレー)、熊谷(グリンレーク)諸氏、シアトル国語学校側は高畠校長以下教師6名、伊東維持会長、秋吉学務部長、天野、橋口、永井、土屋の学務委員諸氏にて伊東氏を座長に推し懇談会となした。
(中略)秋吉氏は沿岸協議会が本問題に関し昨年来調査を進めつゝある如くあると。サンフランシスコ及びロサンゼルスに於ては既に着々と編纂を行ひつゝある如くなれば、教科書を改訂するか、或は新た編纂するの要あるは各地共之を認め居れるのと見るべきは改訂若しくは編纂の時機到来せりと述べた。
高畠氏は現在使用の文部省国定教科書内容中不適当の個所及び児童に採りて余りに困難なる個所に就て説明。
(中略)来会あらざりし6校の…