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3-11 思い出の学校長の物語 - パート 2

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3月11日の地震に続く津波で甚大な被害を受けた宮城県石巻市の街並み。写真提供:黒須千治氏。

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津波は地震発生から69分後の15時55分に荒浜を襲いました。

学校の窓から何が見えましたか?

1階の昇降口で住民案内をしていると、地元消防団員から「校長、ヤバイ、津波だ、上がれ!」の声を掛けられました。人工林や住宅が密集しており、海が見渡せない地形になっていました。ですから、言われたときは「きょとん」としていました。消防団員に押されるように2階校長室前の廊下に移動しました。

初めて津波を見たのはその時です。南に広がっていた校庭とは逆の北側プールが目に入りました。そのすぐ側を堀が流れていました。その堀の水がみるみる増え、あっという間にあふれ、プールが水没しました。

6年生だけでなく、子どもたち全員の家が流された。屋上から見ていた私は、足元で起きていることが現実のこととは思えず、しばらく呆然としていた。それまであった街並みは、津波によって徐々に消し去られていった。無慈悲な津波だった。両手を広げて津波を止めようと思った。「止めてくれ!」 私は心の中で叫んだ。

6年生だけでなく、子どもたちの家が全部流されていくのを屋上から見ていました。足元で起こっていることが現実だとは信じられず、しばらく呆然としていました。それまであった街並みは、津波によって徐々に消し去られていきました。どんどん流されていく。私たちの意志とは関係なく、容赦なく襲ってくる津波。両手を広げて津波を止めたいと思いました。「止めてくれ!」と心の中で叫びました。

それでも現状が認識できないまま,校舎東側の大きなガラス戸越に外を見ていました。突然、窓のすぐそばを大きな物体が横切ります。隣の建物がそのまま移動していきました。何が起こったのか理解できず、そのまま放心状態で立っていました。その瞬間、ガラス戸を突き破って津波やがれきが入ってきました。初めて「怖い」と感じ、津波とは逆方向に走って避難しました。

学校からどうやって避難したのですか?

午後7時頃、ヘリコプターからロープを使って屋上に降りてきた消防士は「屋上から救出します。いつでも救出できるよう準備しておいてください」と指示がありました。

住民の方々と話し合い、まずは小学生の救出をお願いすることになりました。屋上出口の階段に子どもたちを並ばせました。17時30分から救出活動が始まったものの、ヘリコプターはなかなか到着しませんでした。その間、先生方は子どもたちのそばにいて、怖がる子どもたちを励ましたり、声をかけたりして励ましていました。 

最後の小学生が救出されたのは3月12日午前5時。

小学生の救出の後、中学生や大人、職員の一部の救助活動が始まったのですが、ヘリコプターは数機来ただけで、その後来なくなりました。残された住民らは、全員救助されるまで長時間かかることを覚悟しました。

津波発生から27時間後、校舎内に何人残っているか確認したところ、小学生71人、教員16人、住民233人の計320人が残っていました。

3月12日の昼過ぎになると、徒歩で自力避難を始める住民が70名程いました。内陸部から、捜索隊がたどり着いたからだった。

12日正午頃内陸からの捜索隊の到着を受け、住民約70人が徒歩で自力避難を始めました。しかし、周辺の水が完全に引かず、余震も続いていたため、住民のほとんどは校舎に残り、救助を待っていました。

午後3時頃、突然、たくさんのヘリコプターが近づいてきました。日本全国から集まった救助ヘリでした。その時間になると海水も引き始め、ヘリも地上に着陸できるようになりました。住民は、ヘリが着陸したところまで歩いていきました。教職員はその誘導を担当しました。

午後6時頃、私は、住民の代表者と共に最終ヘリに乗り込み、避難者全員の救助が完了しました。その時、振り返って校舎を見ました。夕日に照らされて光り輝いていたのが印象的でした。ヘリに乗る直前、校舎に向かって「ありがとう」と頭を下げました。

3月13日からは、職員をいくつかのグループに分け、子どもたちの安否確認を始めました。職員は自家用車を失ったため、毎日歩いて安否確認をしなければなりませんでした。

それでも、私たちは毎日自衛隊体育館に集まって情報整理をしていました。専用の部屋は確保できず、保護者も泊まっている体育館の一角で情報整理をするのは非常に困難でした。

個人情報の保護や避難者に不安を与えないことなどの配慮から、黒板に書くことができず、ひそかに話すしかありませんでした。各教員の携帯電話を通じて、生徒や保護者、地域の状況を少しずつ把握できるようになりました。

数日後、近くの中学校の教室を「荒浜小学校臨時職員室」として借りることができ、ようやく普通に会話ができるようになり、情報共有も急速に進みました。しかし、ここでも保護者に知らせる手段は確保できませんでした。しばらくすると携帯電話も普通に使えるようになったので、保護者とのコミュニケーションが取れるようになりました。

27時間後に校舎に残っていた小学生71人、教師16人、住民233人の計320人が全員救出されていました。

今日は東日本大震災のことをどう覚えていますか?

信じられない状況でした。生まれて初めてこのような災害を経験しました。震度6強、マグニチュード9。今でも、このような災害が起こったことが信じられません。その後に続いた津波による被害は、まるで別世界のようでした。

写真提供:川村孝男

14年経った今、荒浜の住民の多くは移転し、他の地域で生活を再建しています。一方、荒浜地区は災害危険区域に指定され、住宅が建てられなくなり、2,200人いた人口がゼロになっています。荒浜地区は今後どのように復興していくのだろうかと、日々思いながら施設(学校跡地)で働いています。

* * * * *

荒浜地区では中学生3人を含む192人が亡くなった。「卒業式を1日でも遅らせていれば生徒たちが助かったのではないかという後悔の念を抱きながら、何カ月も過ごしました」と川村先生は語った。

仙台市だけでも、死者・行方不明者は931人に上った。約139,643棟の建物が全壊または甚大な被害を受け、5,728の住宅地区が「危険」または「要注意」と報告された。

死亡者は19,759人、負傷者は6,242人、行方不明者は2,553人と報告されている。

彼らの魂が安らかに眠りますように。

写真提供:川村孝男

 

© 2025 Norm Masaji Ibuki

東北地方太平洋沖地震(2011年) 本州 インタビュー 日本 宮城県 仙台 東北地方
このシリーズについて

人と人との固い結びつき、それが、「絆」です。

このシリーズでは、2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震とその影響で引き起こされた津波やその他の被害に対する、日系の個人・コミュニティの反応や思いを共有します。支援活動への参加や、震災による影響、日本との結びつきに関するみなさんの声をお届けします。

震災へのあなたの反応を記事にするには、「ジャーナルへの寄稿」 ページのガイドラインをお読みください。英語、日本語、スペイン語、ポルトガル語での投稿が可能です。世界中から、幅広い内容の記事をお待ちしています。

ここに掲載されるストーリーが、被災された日本のみなさんや、震災の影響を受けた世界中のみなさんの励ましとなれば幸いです。また、このシリーズが、ニマ会コミュニティから未来へのメッセージとなり、いつの日かタイムカプセルとなって未来へ届けられることを願っています。

* * *

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執筆者について

オンタリオ州オークビル在住の著者、ノーム・マサジ・イブキ氏は、1990年代初頭より日系カナダ人コミュニティについて、広範囲に及ぶ執筆を続けています。1995年から2004年にかけて、トロントの月刊新聞、「Nikkei Voice」へのコラムを担当し、日本(仙台)での体験談をシリーズで掲載しました。イブキ氏は現在、小学校で教鞭をとる傍ら、さまざまな刊行物への執筆を継続しています。

(2009年12月 更新)

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