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第4回 その他の番組

最終回はその他の日本語放送および二世が出演する音楽番組について紹介する。


大正堂

写真出典:『大陸日報』1935年8月19日

パウエル街301番地に店を構える大正堂(北村賢二郎、北村勝、滋賀県出身)はもともと薬屋であったが、ラインナップを拡大してラジオや日本レコードも取り扱うようになっていた。

1935年8月19日の大陸日報に「C.K.M.O. 1400K.C. 毎週月、金曜日午後五時より開始 流行の尖端を切るビクターレコードの放送をお聞き下さい」との広告を掲載した。

1936年1月11日に掲載された番組広告で、放送時間が土曜日の17時に変更されたことが分かる。しかし2月18日を最後に大正堂の新聞広告からラジオ放送の記載がなくなった。

この放送についてはレコードを流すということ以外の詳細は不明である。


『大陸日報』

邦字紙の『大陸日報』は大晦日に新年号を発行し、元旦及び1月2日は休刊とするのが恒例であった。同紙は1936年1月2日に新光社や新見商会の番組で日系社会におなじみとなったCJOR局からラジオ放送を行うことにした。当初16時から15分間の放送と予告されたが、実際は20分番組となり、大陸日報社長岩崎與理喜の新年の挨拶、ニュースに続き、歌が放送された。番組ではメリー(歌)と熊野吉夫(ハーモニカ伴奏)による「島の娘」「赤木の子守唄」および中津輝夫(歌)と寒川美代子(ピアノ伴奏)による「天龍しぶき」「船頭可愛や」が流された。

「今までの放送に度々出演して大好評を博している晩香坡のメリーさんの『島の娘』に熊野吉夫君の見事なハーモニカ伴奏で、ハァーの可愛い美声でファンをチャームした」(『大陸日報』1936年1月3日)との記事から、この番組が在留邦人から大絶賛された様子が伺える。ちなみに、メリーさんとは楽々亭メリーを指すものと思われる。

 
日本人合同教会

バンクーバーの合同教会は自前で放送局(CKFC局)を運営していた。日本人合同教会もその設備を利用して日本人の出演する番組を放送した。1934年4月15日の16時より日本人合同教会少女合唱隊の歌が放送されたのがその皮切りと考えられる。

2回目は晩香坡日本人合同教会創立40周年記念行事の一環として、1936年10月13日20時半から日英両語の音楽プログラムが放送された。番組内容は、少女合唱隊の歌、清水小三郎牧師の日本語と英語による話、内田絢子のバイオリン独奏等であった。

3回目は1938年11月1日の20時半に放送された。考えようによっては1年おきの定期放送とも言える。清水牧師の日本語講話に加えて歌手としての地位を確立した大堀文江を迎えての歌、聖歌隊の合唱、バイオリン独奏が放送された。

CKFC局は1940年に合同教会の経営を離れた。このため、ラジオ日曜学校が合同教会番組として毎週日曜日の16時~16時半にCKWX局(後日CKMO局に変更)で放送されるようになった。その番組制作については各移民社会にも開放しており、日本人合同教会もそれに参加した。 

大陸日報には1940年4月に2回、11月に1回、1941年9月に1回の放送予定が掲載されている。内容はパウエル合同教会日曜学校の先生のお話、下高原節子の独唱、清水小三郎牧師の説教等であった。


二世音楽番組

1938年4月末よりCKCD局で土曜日の21時に日系二世の音楽家が出演する15分間の音楽番組が始まった。4月30日から10月1日までの23回、毎週土曜日夜の放送が行われた。登場順に出演者を記す。熊谷勝志(ハーモニカ)、鵰本文子(ピアノ・歌)、熊野吉夫(ハーモニカ)、大堀文江(歌)、東信子(ピアノ)、中村哲(歌)、新見悦子(ピアノ)、小坂文子(歌)、益田文雄(バイオリン)、仲野静江(ピアノ)、斎田愛子(歌)。内容はクラシック系の音楽が主であるが、時折「故郷」、「荒城の月」、「城ヶ島の雨」等の日本の曲も取り上げられた。

同年9月時点ではスティーブ榎本(バイオリン奏者)がこの音楽番組の総合調整と宣伝を担当した。この番組に対する評判が良いので、音楽を通じて日本とカナダの親善促進を図ることを目的とした二世の音楽家・歌手で構成される「音楽クラブ」の設立会合が5月20日に開催された。同クラブのリーダー格はセシル大河原薫(クラリネット奏者)であった。榎本と大河原は新見商会放送の曙管弦楽団の中心メンバーでもあった。


日本人音楽家のラジオ出演

1933年1月20日の17時~17時半にCKWX局で日本人の出演する音楽番組がニュー・ウェストミンスター商業組合主催により放送された。ローイ・キャンベル指揮により、ハーモニカバンド、大堀文江の独唱、益田文雄のバイオリン独奏等が聞かれた。

1935年12月21日の20時半より、クリスマス募金を目的とするCKCD局の番組に白倉副領事および歌手の鵰本文子が出演した。

1936年12月22日の20時半からCKCD局でサンタクロース慈善資金募集のためのラジオ・オークションが行われ、日本人を代表して合同教会の清水牧師と大堀文江が参加した。

バンクーバー青年協議会がCKMO局で週一回放送している番組で、1939年2月15日および同年12月7日に二世の音楽家が出演した。これはカナダ日系人市民協会(JCCL)の提供により、エドワード大内と熊野吉夫がそれぞれ番組編成を担当したものであった。

この他一般の音楽番組に地元の音楽家に伍して多くの二世音楽家が出演した。斎田愛子、大堀文江、益田文雄、中村哲、鵰本文子、熊野光信、内田絢子、井出律子、石崎信子、熊谷勝志、東信子、エドワード大内といった面々である。このうち、その才能が評価されてCJOR局の専属歌手になった大堀文江と井出律子やCJOR、CKWX、CKMO各局の番組に幅広く出演した中村哲の歌声が定期的にラジオから流れてきたことを付記しておきたい。

 

*本稿は、月刊『ふれいざー』(2022年5月号)からの転載です。

 

© 2022 Tetsuya Hirahara

ブリティッシュコロンビア州 カナダ 日本のラジオ番組 日本時間 (書籍) 戦前 バンクーバー (B.C.)
このシリーズについて

カナダへの日本人移民の歴史は1877年に永野萬蔵が渡航したことから始まるとされる。19世紀末頃よりバンクーバーのパウエル街に日本人町が徐々に形成されていった。在留邦人数の増加に伴い、日本人社会の動静を伝える重要なメディアとして邦字新聞の大陸日報が1907年に創刊された。一方で、新しいメディアであるラジオ放送についてはバンクーバーでは1922年3月にプロビンス紙がニュースを流すテスト放送を開始したのが嚆矢とされる(後のCKCD局)。これに続き、同年に4局が立て続けに開局し、1920年代には現在のラジオ局のルーツとなる局が出そろった。しかしラジオで日本語番組が流されるまでには十数年の年月を要した。それまで在留邦人はシアトル等で行われていた日本語放送や、不安定ながらも日本からの中波や短波の放送を受信していた。本シリーズでは戦前にバンクーバーで行われていたラジオ日本語放送および日本音楽番組の歴史を4回にわたって紹介する。

*本シリーズは、平原哲也氏の著書『日本時間(Japan Hour)』からの抜粋で、月間『ふれいざー』からの転載です。

* * * * *

シリーズ「日本時間 ~日本語ラジオ放送史~」

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執筆者について

中学生の頃から外国の短波放送を受信する趣味を始める。ラジオ全般の歴史にも興味を持ち、近年は南北アメリカ大陸で放送されていた日系移民向けラジオ番組の歴史について調査している。2020年に北米大陸で戦前に行われていた番組を紹介する『日本時間(Japan Hour)』を自費出版。

(2022年 9月更新)

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