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第41回(その2) 日・豪にルーツのある著者、クリスティン・パイパー氏に聞く — オーストラリアの日系人

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収容所での日系人・日本人

——『暗闇の後で』では、日系のオーストラリア人など、外国人と日本人の血を引く人物が登場します。彼らは、日本人と同じ収容所に入れられますが、当時彼らの置かれた立場はどのようなものだったのでしょうか。日本人と対立していたのでしょうか。

クリスティン・パイパー(CP): 軍の記録が保管されているオーストラリア国立公文書館で、リサーチのため多くの時間を費やしました。そこで私は日系のハーフなので、ミックス・レイスの人やオーストラリア生まれの日本人抑留者に関する報告書に興味を持ちました。私は彼らにとても共感しました。彼らは2つの文化のはざまに囚われているのに、どちらからも歓迎されない。

オーストラリア人としての誇りを持って、時には祖国のために命を賭して戦うことを熱望していたにもかかわらず、日本へのシンパシーを疑われて逮捕され、収容されたのでした。

ラブデー収容所グループのひとつ、ウールヌック収容所で労働を終え、収容所に戻る日本人抑留者たち。(写真:Australian War Memorial)

私の調査によると、ミックス・レイスやオーストラリア生まれの(日系)抑留者のほとんどは、心情的に日本よりもオーストラリアの側に立っていました。彼らは収容所では部外者で、収容所の日本人指導者たちからひどい扱いを受け(例えば、トイレ掃除などの雑用をさせられた)、日本の天皇への忠誠を誓うよう強いられ、収容所にいた他の日本人たちから疎外されていました。

一生懸命努力しても、彼らのほとんどはオーストラリア当局に対して、自分たちの忠誠心を納得させることできず、釈放してもらうことはできませんでした。例えば、本書に登場するスタン・スズキは、オーストラリア人としての誇りを強く感じ、日本人の血を引いていることを恥じていた実在の人物をモデルにしていますが、彼は戦前、土地測量士として働いていたため、オーストラリア当局は戦時中に彼を自由に歩き回らせるのは危険だと考えました。日本のスパイになってオーストラリア国境の情報を流すのではと心配したのです。彼は収容所でいじめられ、ひどく落ち込んで自殺を図りました。何年かかかってようやく彼は収容所から解放されました。

他のミックス・レイスの抑留者や、オーストラリアに長く住んでいた日本人抑留者は、これとは違っていて日本とオーストラリアへの忠誠心について葛藤を抱えていました。私が話をしたある女性の父親は、戦時中収容されているときに引きこもりがちになり、うつ状態になってしまった、と彼女は言っていました。彼女は、父親が50年もオーストラリアに住んでいる日本人として葛藤を感じていたからだと思いました。基本的に、収容所というものは異なる文化と忠誠心の “坩堝”で、当然、葛藤もそこから生れたわけです。

——前の質問と関連しますが、日系アメリカ人と比べて、同じ日系人として、日系オーストラリア人が社会的あるいは歴史的に異なっている点があるとすれば、どのような点でしょうか。同じ日系のなかで、日系オーストラリア人の特性はあると思いますか。

CP: 終戦時、オーストラリアにいた日本人のほとんどは、希望するしないにかかわらず日本に送還されました。オーストラリア人と結婚した日本人か、オーストラリアで生まれた日本人だけがオーストラリアに残ることが許されました。なかには50年以上もオーストラリアに住んでいたのに、強制的に日本に戻された人もいました。

そのため、戦後、オーストラリアに住む日本人の数は非常に少なくなり、日本人として登録されたのはわずか300人ほどでした。彼らは多くの差別に遭いました。例えば、ブルームでは戦時中、日本軍から激しい攻撃を受けたため、戦前にブルームに住んでいた日本人が町に戻ってくると、周りの人は不親切で仕事を見つけるのも大変でした。戦後、多くの日系オーストラリア人が日本姓を変えました。

また、オーストラリア政府は長年にわたり、「ホワイト・オーストラリア政策」として知られる、白人だけを移民として受け入れる人種差別的な移民政策を採用していました。1950年代に日本人の「戦争花嫁」(日本に赴任していたオーストラリア軍人と結婚した女性)の一部がオーストラリアへの移住を認められましたが、差別的な政策が完全に廃止されたのは1972年になってからです。

そのため、日系オーストラリア人4世、5世と名乗る人はあまり多くはありません(実際は存在していますが)。自分が日系人であることを自覚していない人もいるかもしれません。オーストラリアでは、日系といっても私のように、1世または2世の人の方が多くなっています。この点が、日系オーストラリア人と日系アメリカ人の大きな違いだと思います。オーストラリアでは、私たちは比較的最近の移民(戦後に来た人たち)と言っていいでしょう。

私が日本財団の「グローバル若手日系人調査」に現地調査員として参加していた時、多くの4世、5世の日系アメリカ人や日系カナダ人に会いました。彼らは日本の伝統を受け継いでいることをとても誇りに思っていました(日本食を作り、日本の祭りを祝っていた)。しかし、日本語を話すことも理解することもできませんでした。

この点は、とても私にとって驚きでした。なぜならオーストラリアでは、日本語を理解する日系人は日本の伝統との繋がりを強く意識する傾向があるからです。多くの日系人は土曜日に日本語学校に通い(私は通いませんでしたが)、そこでコミュニティを見つけています。


県人会が組織化して発展 

——オーストラリアで暮らす日本人あるいは日系人は、明治時代から日本人がオーストラリアに移住したことからはじまる、歴史を理解していると思いますか。もし、理解していないとすればその理由は何だと思われますか。

CP: 日本からオーストラリアへの移民がどのようなものだったのかについての知識は限られています。それは、このことが学校で教えられていないからだと思います。おそらく一部の日系人は親から教わるか、土曜学校で習うのでしょう。私は大学で日本語を専攻していたので、そこで歴史について少し学びましたが、『アフター・ダークネス』のために調べたときに、はるかに多くのことを学びました。


——オーストラリアでの日本人、日系人は組織化されているでしょうか。アメリカでのJACL(Japanese American Citizens League)のような組織はありますか。あるとすれば、どのような活動をしていますか。

CP: オーストラリアに住む日本人は、アメリカの日系人のように組織化されていません。それは、オーストラリアの日系人の人口が少ない(約71,000人:2016年の統計参照、2016statistic)ことと、ほとんどが最近移住してきた人だからだと思います。北米のような正式な全国組織はありません。しかし、最近では県人会が組織化されてきました。私の知っているところでは、シドニーとメルボルンの沖縄県人会、シドニーの神奈川県人会、シドニーの千葉県人会、シドニーの福岡県人会、パースの福島県人会、木曜島の和歌山県人会があります。

このように、オーストラリアの日系人は、自分たちで組織化し、コミュニティを作り始めています。また、私はニッケイ・オーストラリア(Nikkei Australia)というグループのメンバーとして活動しています。このグループは、オーストラリアにおける日本人ディアスポラ(移住)の遺産を保存・促進するための私的なグループです。シドニー、メルボルン、ブリスベン、パース、ブルームにメンバーがいて、歴史からアート、学術研究まで、さまざまなプロジェクトに関係しています。また、オーストラリア各地で定期的に交流イベントも開催しています。

—— 一般的に、外国で仕事などのために滞在する日本人と、その国と日本の両方にルーツをもつ日系人(たとえば日系アメリカ人)とは、あまり交流がないようですが、オーストラリアではどうでしょうか。日系オーストラリア人と在豪日本人との交流はありますか。

CP: オーストラリアに一時的に滞在する日本人やオーストラリアで働く日本人と、オーストラリアにルーツを持つ日系人との交流はあまりありません。私は大学時代、日本人会に所属し、日本人留学生と知り合いになりました。私が住んでいるシドニーでは、毎年日本映画祭や「祭りジャパン・フェスティバル」が開催されていますが、それ以外では、最近になってオーストラリアに来た日本人と知り合う機会はあまりありませんでした。

日本財団や日系オーストラリアのような組織は、両者の架け橋となるようなことをもっとできるのではないでしょうか。

続く >>

 

© 2023 Ryusuke Kawai

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このシリーズについて

日系ってなんだろう。日系にかかわる人物、歴史、書物、映画、音楽など「日系」をめぐるさまざまな話題を、「No-No Boy」の翻訳を手がけたノンフィクションライターの川井龍介が自らの日系とのかかわりを中心にとりあげる。

 

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執筆者について

ジャーナリスト、ノンフィクションライター。神奈川県出身。慶応大学法学部卒、毎日新聞記者を経て独立。著書に「大和コロニー フロリダに『日本』を残した男たち」(旬報社)などがある。日系アメリカ文学の金字塔「ノーノー・ボーイ」(同)を翻訳。「大和コロニー」の英語版「Yamato Colony」は、「the 2021 Harry T. and Harriette V. Moore Award for the best book on ethnic groups or social issues from the Florida Historical Society.」を受賞。

(2021年11月 更新)

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