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アマゾンの日系社会

第1回 プロローグ

昨年の8月、ブラジルのパラー州ベレン市にある北伯日本語普及センターに、JICA日系社会シニアボランティアとして配属になった。このセンターは、日伯協会、日系商工会議所と同じ建物の中にあり、活動初日から、多くの日本人・日系人の方々に会ってきた。

ブラジルへ来る前から聞いてはいたが、これほどまでに日本が残っているとは想像していなかった。「残っている」のではなく、「日本がある」と言ったほうがいい。それは、日本語の使用率の高さからも言える。ここで活動していて、ポルトガル語を話さない日はよくある。訪ねて来られる方はほとんど日本語が話せるからだ。そして、その多くが一世である。

ブラジルに初めて日本人移民が来たのは1908年。しかし、1900年初頭に、ペルーに移住した日本人が、アンデスを越えてアマゾン地方にすでに住み始めていた。俗に、「ペルー下り」と言われている。日本からの移民がアマゾンへ移ったのは1929年から。この年に来られた方で、まだご健在なのはわずかお二人だけである。多くの一世は、戦後、1953年以降に来られた方たちだ。

私が知っている中で最高年齢は84歳。私のカラオケ仲間で、日舞もされるとても元気な女性である。最近、自分の会社を立ち上げた82歳の男性も飲み仲間だ。会社を経営され、日系社会でも第一線で活躍されている70歳代後半の方もいらっしゃる。とにかく、みなさん本当にエネルギッシュだ。そういう方たちが引っ張っておられるので、ここの日系社会が元気なのも納得できる。

一世が多いから、日常的に日本語が話されるのは当然である。また、たくさんの方が一世同士で結婚されており、その間に生まれた二世の日本語能力が高いのは言うまでもない。そして、流暢に話せる三世が多いことにも驚かされた。1980年代後半から1990年代にかけて起こった日本への出稼ぎブームで、幼いときに親と一緒に渡日、そこで育って、またブラジルへ帰国した人たちだ。世相を反映した興味深い状況である。

こういう人たちの強みは、ポルトガル語も日本語もネイティブのように話せることだ。それを活かして日本語を教えている人も少なくない。戦後にやってきた一世、ここで生まれ育った二世、社会の波とともに二国を行き来した三世、それぞれの背景が映し出す彼らの姿は「三世三様」だ。

配属先センターのある敷地の入り口には鳥居がある
(筆者撮影)

戦前に来た一世から引き継がれた二世・三世が、中心になっている南部とは異なり、ここは、一世が現役で活躍されている。また、私が以前住んでいたメキシコの日系社会と比べても、様子はまったく異なる。一世が多く、日常生活に日本語が根付いている。もちろん、この「日本」はブラジルの中の「日本」で、日本とも異なる。食事、習慣、生活様式、言葉、様々な点で違う。それは、ここの日本人が築いてきた文化であり、それによって支えられてきたのが彼らの日系社会なのだ。

昨年のW杯ブラジル大会が開催されていたとき、日本で日系ブラジル人を取り上げた番組を見ることが何度かあった。W杯を機に、多くの人が日系ブラジル人のことを知る良い機会になった。しかし、彼らの歴史には触れられず、仕事を求めて渡ったがうまくいかず苦労した人たち、ブラジルにいるが心は日本人で日本チームを応援している、と一括りで語られることに辟易した。ここに築かれたものは、もっと深くて大きい。アマゾン河のように、どっしりとした揺るぎのないものだ。

このサイトでジャーナルを投稿することができる、良い機会を与えていただいた。私の任期はあと約1年半。この間に、ここの日系社会にどっぷり浸かって、日本では体験できない「日本」を味わい、私なりの視点で感じたことをお伝えしたい。それが、読者にとって、新たな発見「ディスカバー・ニッケイ」になれば幸いだ。そして、その体験をまたどこかの地で活かしながら、違う角度から「ニッケイ」について語ることができたら嬉しい。

 

© 2015 Asako Sakamoto

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このシリーズについて

ボランティアの目から見たアマゾンの日系社会について、一世、日系人、日系社会、文化、日本語、いろいろな角度から語るジャーナル。日々の活動を通して感じたこと、日系社会の歴史と現状、等々をお伝えします。