ディスカバー・ニッケイ

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アマゾンの日系社会


2015年6月3日 - 2018年2月1日

ボランティアの目から見たアマゾンの日系社会について、一世、日系人、日系社会、文化、日本語、いろいろな角度から語るジャーナル。日々の活動を通して感じたこと、日系社会の歴史と現状、等々をお伝えします。



このシリーズのストーリー

第10回 ふるさと

2018年2月1日 • 坂本 麻子

兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川夢は今もめぐりて 忘れがたき故郷 如何にいます父母 恙なしや友がき雨に風につけても 思い出づる故郷 志をはたして いつの日にか帰らん山は青き故郷 水は清き故郷 ― 唱歌『ふるさと』 任期最後の年、3度目のトメアスー敬老会。トメアスー文化農業振興協会とアマゾニア日伯援護協会が中心となって行われ、多くの家族が一同に会して、地元のおもに日系一世である高齢者の健康と長寿を願う。ベレン領事事務所所長や振興協会会長などが挨拶をされ、日本語…

第9回 高拓生の熱き思いはいつまでも

2017年11月17日 • 坂本 麻子

JICAボランティアの任務が終わった。帰国前は数か月間、活動終了に向けて追い込みをかけるようにあちらこちらの学校を巡回した。帰国してからは諸々の手続きやら就職活動やらに追われ、3か月が過ぎた今、ようやく落ち着きを取り戻した。最後に寄稿してからだいぶん時間がたったが、任期中、「書きたい」とずっと思っていたことがある。「アマゾンの日系社会」と題する本コラム、それを語る上で忘れてはならないことである。幸い、任期後も執筆を続けることを許していただけたので、今回はぜひそのテーマについ…

第8回 トメアスーの農業

2016年11月21日 • 坂本 麻子

「ここにアマゾン移民が最初に着いたんですよ」 CAMTA(トメアス総合農業協同組合)元理事長の坂口渡フランシスコさんが教えてくださったのは、アマゾン川支流にある小さな川岸。ここに43家族189人が到着したのは、1929年のこと。彼らがはじめにとりかかったのはカカオの生産。アマゾン開拓のために、日本政府の指示を受けた鐘淵紡績株式会社が出資して設立した南米拓殖株式会社とともに取り組んだ。1931年にはアカラ野菜組合が結成され、野菜や米作りも手がけるようになったが、熱帯病患者の…

第7回 アメリカ人青年、74年の歳月を経て再びトメアスーへ

2016年8月1日 • 坂本 麻子

「一昨日、すごいことがあったんです!戦時中にトメアスーへ来たアメリカ人が、野球ボールを持って来てくれたんです!」・・・そう興奮しながら話すのはパラー州のトメアスー文化協会の乙幡敬一会長。「野球ボール?」と聞くと、「映画になるような、感動的な話」とニコニコしながら話し始めた。 1942年、サンパウロの大学に留学していたアメリカ人ジョルダン・ヤングさんは、第2次世界大戦が始まったことを知り、帰国手続きを始めていた。船便の順番待ちをしていたときに、大使館から依頼された、ロッ…

第6回 カスタニャール日本語学校 歴史をたどる

2016年5月16日 • 坂本 麻子

鍵のかかった扉を開けてもらい中に入ると、少しひんやりとしている。電気は切れているが、外からの日差しで充分に明るい。まず正面に校歌と校訓。右側の壁には初代校長信重時晴先生の肖像画。左には職員室。埃はかぶっているが、積み上げられた教材はどれも今でも使えそうなものばかり。六つほど教室があり、一つは木の床でできていて歩くと所々でミシッという音がする。いろいろな機材もそのまま残されており、そこにいると、子どもたちの元気な声が今にも聞こえてきそうだ。 「昔の校舎に教材がたくさんあ…

第5回 節目の年と出会い 

2016年2月29日 • 坂本 麻子

昨年、日伯外交関係が結ばれて120年目を迎えたことを記念し、両国で様々なイベントが行われた。ここアマゾンでも各地でいろいろな行事が催され、ブラジル社会にも日本のことがこれまで以上に知られたのではないだろうか。任期中にこのような節目の年が迎えられたことで、私も多くの行事に参加することができてラッキーだった。そして、任地ベレンでは、節目の年はこれだけに限らなかった。 アマゾン日本人移住85周年(2014年)、アマゾニア日伯援護協会50周年(2015年)、パラー日系商工会議所3…

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このシリーズの執筆者

1998年にメキシコで日本語教師としてスタート、その後、アメリカと日本で、主に日系人を対象に日本語教育に関わる。大学院では、在日日系南米人に関わる諸問題を通して、日本の血統主義について調査、研究。2014〜2017年、JICA日系社会シニアボランティアとしてブラジルへ赴任。現在は、日本国内で日本語教師として活動している。

(2017年10月 更新)