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我が家の定番、県民食の鶏料理

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子供の頃は認識不足だった 「故郷の味」

日本の九州、大分に生まれ18歳までそこで暮らした私にとって、子供の頃から慣れ親しんできた味といえば鶏料理だ。実はつい最近知ったのだが、大分県は日本一、鶏肉の消費量が多いらしい。手羽先料理で有名な愛知県をしのぐとは思わなかった。

しかも、県北の中津や宇佐では鶏の唐揚げ店が昔から数多く営業しており、中には東京進出を果たした店もあるほどだ。

鶏の唐揚げが代表的な料理かというと、それだけではない。むしろ、唐揚げよりも私の母がよく作ってくれたのは鶏天と呼ばれるメニュー。唐揚げは片栗粉をまぶして揚げるが、鶏の天ぷらは天ぷら粉で作る。出来立て熱々には、芥子を添えた酢醤油をつけて食べる。ジューシーな鶏肉にピリッとした辛みの芥子はよく合う。

鶏天は家庭料理かというとさにあらず。もちろん、家庭でもよく作るが、今思い出してみると、子供の頃、両親に市街地のレストランに連れて行かれ、そこでも鶏天定食なるものを食べていた。家でも食べられるのに、外食する時も鶏天。いかに大分県民が鶏好きか、よくわかるだろう。

さっきから「今思い出せば」とか「最近知った」といったフレーズを連発しているが、確かに、子供の頃は鶏料理が地元で愛されているという認識が薄かった。家庭の夕飯に登場し、鶏料理が持ち帰りできる店もあり、レストランのメニューにも堂々と並び、さらには結婚式の披露宴にも鶏のももの唐揚げがよく出て来ていたのにもかかわらず、だ。そこまで鶏料理に囲まれていたことに気づいたのは、アメリカに来てから、しかも子供たちが生まれてからだ。

母に伝えたい 「美味しいね」の言葉

9歳の娘もいつか鶏天を作る時が来るだろう。しかし、今はまだ「食べるだけの人」だ。

子供たちは上が現在14歳の男の子、下は9歳の女の子で二人ともアメリカ生まれの日系二世。ピザやハンバーガーも大好きだが、料理の作り手が日本生まれの私しかいないので、家では自然と日本食の出番が多くなる。

彼らがまだ小さい時、我が家の伝統食として何を食べさせるかとなった時、もちろんハンバーグ、カレー、カツ丼に親子丼といったメニューが頭に浮かんだ。そして、その先頭にぱっと思い浮かんだのが、やはり「鶏の唐揚げ」であり「鶏天」だった。しかし、困った。18歳までは母が作ってくれるものを手伝いもせずに私はただ「食べる人」だったのである。その後、東京の大学に進学し一人暮らしになったが、自分一人のために揚げ物料理を作るという発想はなく、はっきり言って子供を産むまでは「鶏料理」は忘れ去られた存在だった。そのブランク、実に15年。

私は日本の母に助けを求めた。レシピは簡単だった。鶏肉を、すりおろしたショウガとニンニクと一緒に醤油と日本酒に一晩浸す。下味を付けたところで、唐揚げなら片栗粉、鶏天なら天ぷら粉をつけて油で揚げるだけ。一晩寝かせるので下味もしっかりついて、実にジューシーな仕上がりだ。

県民食、鶏料理は、何よりポットラックに持っていくと大人気ですぐになくなる。ロサンゼルスの日系人家庭でのポットラックパーティーには、ちらし寿司、おいなり、スパムむすび(私もスパムむすびをよく持参する)、カリフォルニアロール、アヒポキ、コロッケをはじめさまざまな料理が並ぶが、その中に私の唐揚げも仲間入りさせてもらうことがある。私がポットラックに行くと「あの鶏の唐揚げが食べられる」と楽しみにしてくれる友達もいる。私を招待したいというよりも、唐揚げが食べたいのではないか、私はオマケかと思ったりもする。

それは冗談としても、少々寂しいのは、時々「今日の鶏天はショウガの味が利いていて美味しいね」と息子に同意を求めても、彼の返事は「そう?いつもと一緒だけど」と素っ気ないこと。しかし、考えてみれば、私も18歳まで母が作る鶏料理を当たり前のように食べていたのだ。「お母さん、美味しいね」と言葉にして伝えたことがなかった。次に日本に帰省した時、「お母さんの鶏天は最高に美味しいね」と言うことにしよう。母はきっとまた作ってくれるはずだから。

© 2012 Keiko Fukuda

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執筆者について

国際基督教大学を卒業後、東京の情報誌出版社勤務を経て1992年渡米。ロサンゼルスの日本語情報誌の編集長を2003年まで務めた後、同年フリーランスとして活動開始。人物取材、アメリカの教育事情、日本食事情などをテーマに取材を続け、2024年に郷里の大分に活動拠点を移す。その後もオンラインを通じて取材執筆活動に従事。ウェブサイト: https://angeleno.net 

(2024年10月 更新)

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