福田 恵子

(ふくだ・けいこ)

大分県出身。国際基督教大学を卒業後、東京の情報誌出版社に勤務。1992年単身渡米。日本語のコミュニティー誌の編集長を 11年。2003年フリーランスとなり、人物取材を中心に、日米の雑誌に執筆。共著書に「日本に生まれて」(阪急コミュニケーションズ刊)がある。ウェブサイト: https://angeleno.net 

(2020年7月 更新)

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イマジン・リトル東京ショートストーリーコンテスト受賞作品の朗読を担当する声優・佐古真弓さん

リトルトーキョーをテーマに創作した日本語と英語のショートストーリーを対象にした「イマジン・リトル東京ショートストーリーコンテスト」は、今年度で10回を迎える。日本語の最優秀作品は毎回、アメリカで活躍する日本人俳優が朗読するのだが、今年は日本の女優、佐古真弓さんがその役を担う。 佐古さんは、スカーレット・ヨハンソンやエマ・ストーンら、ハリウッド女優の吹き替えで知られる第一線の声優でもある。佐古さんに今回の朗読を引き受けた経緯や、リトルトーキョーへの思いなどを聞いた。 「今回のショートストーリーの朗読を受けることになったのは、ロサンゼルスで活動されている俳優の尾崎英二郎さんにオファーを頂いたからです。私は尾崎さんが出演されていたTVドラマ『私立探偵マグナム(Magnum, P.I.)』に日本語吹き替え版で、バーディタ・ウィークスさんが演じる、主人公マグナムの相棒、ジュリエット・ヒギンズの声を担当しているのですが、私が吹き替え版に出演していることをきっかけに、尾崎さんとTwitterで知り合いました。(尾崎さんからオファーを受けた時は)、その大役に『私で良いのか?』と当初は戸惑いもありましたが、とても光栄なことですので、引き受けさせていただきました」。 5月20日に対面式とバーチャルの両方で開催されるショートストーリーコンテスト授賞式では、日本を拠点とする佐古さんによる事前収…

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日本生まれボリビア育ち・アメリカで弁護士になった比嘉恵理子さん

  両親はボリビアの「コロニア・オキナワ」育ち 移民法弁護士としてロサンゼルスを拠点に活躍している比嘉恵理子さんとは、某日系ビジネス団体の会報向けに取材させてもらったのが最初の出会いだった。「父親の仕事でアメリカに移ってくる時にビザ手続きがなかなか順調に進まず、非常に苦労した自身の経験を現在の仕事に生かしています」と話す比嘉弁護士からは、「祖父母は沖縄出身のボリビア移民で、私の両親はボリビアで生まれました」という話も飛び出した。 聞けば、比嘉さん自身は、ボリビアから日本に出稼ぎに行っていた父親の仕事先の栃木県生まれで、小学生の時に両親、妹と弟と共にボリビアに帰国したのだと言う。そこで高校生の途中まで過ごしていたが、日本時代から勤務していた会社のアメリカ法人立ち上げに伴い、アメリカに駐在することになった父に帯同するため、比嘉さん一家は一旦日本でビザの発給を待った後に、ミシガン州デトロイトに移って来たそうだ。 沖縄系の方から話に聞くことがあった「コロニア・オキナワ」が、比嘉さんの祖父母が最終的に定住した地であると知り、また日本とボリビアで育った比嘉さん自身のアイデンティティーに興味が湧いた私は、彼女の家族の移民史を含め、改めて話を聞く機会をいただいた。 「最初にボリビアに移住したのは母方の祖父母、山城保徳と邦子で、1950年代のことでした。第二次大戦後、沖縄は…

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アメリカの日本語媒体

第12回 全米に行き渡るインターネットラジオ『さくらRADIO』

コミュニティーをつなぐ ニューヨークからインターネットで配信している『さくらRADIO』は2017年10月にスタートしたのち、数年かけてじわじわと全米の日系コミュニティーに浸透してきた。同ラジオが異色な点は、メディアとは異業種である人材会社インテレッセによって運営されていることだ。 インテレッセ社長の藤原昌人さんはラジオ開設の経緯を次のように語る。 「人材ビジネスで全米各地をまわっていると、ニューヨーク、カリフォルニア、ハワイ以外のエリアでは、ほぼ日本語の媒体が存在しないということを知り、そのようなエリアの皆さんが求めるメディア、全米のコミュニティーをつなげるものを作りたいと思いました。その場合、今の時代、新聞ではない。ではテレビだろうか、ラジオだろうかと考えると、テレビ放送の運営には膨大な金額がかかってしまうことから、テレビは難しい。それで最終的にニューヨークからインターネットでラジオ番組を配信することにしたのです。 また、人材会社なので、メディア業界の人材にさくらRADIOで働いてもらうことで仕事を提供することも(ラジオ局開設の)目的でした。通常はITや会計といった専門職は紹介先が見つかりますが、メディアの仕事はあまり紹介先が多くないのです。そういった方々のための仕事を作ろうと思ったというわけです」。 さらに藤原さんには従来の大手メディアとは異なる目論見もあった…

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2014年渡米、スケートボード留学生を日本から受け入れる杉本キョウコ・ヒックスさん

育児終了後に米留学 初めてのアメリカは18歳の時。現在、ロサンゼルス近郊に暮らし、日本からのスケートボード留学生を迎えてお世話をしている杉本キョウコ・ヒックスさんは、「コネチカット州に留学していた兄を訪ねたのが、アメリカに初めて来たきっかけです。ずっとアメリカの雑貨が大好きで、SONY PLAZA(海外の小物や化粧品などを販売する日本国内のショップ)に通っていました」と振り返る。 しかし、その後、日本で結婚し2人の子の母親になり、さらに離婚でシングルマザーになったことで、育児が最優先事項になった。「ずっとアメリカに来たいと思っていました。それで、次男が二十歳になった時に育児終了を宣言して、私のアメリカ留学を決行したのです」。それまでも、キョウコさんは子どもたちを連れて何度も短期でアメリカに足を運んでいた。カリフォルニアで体験したスケートボードに熱中した次男、エイセイさんはその才能を伸ばし、瞬く間に日本のキッズスケートボーダーとして有名になり、今では日本スケートボード選手権の審査員を務めるまでになった。 実は、エイセイさんが10歳の時に1年間の母子留学に挑戦しようとしたことがあったと言う。 「私が学生ビザを取得して、息子と一緒にアメリカに滞在しようと思っていたのです。理由は分からないけど、私のビザが却下されてしまいました。その時、シングルマザーだったから、学生ビザで入っ…

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元ジャーナリストで現米日カウンシルのVP — フレッド片山さん

日系人社会から白人社会へ 私がロサンゼルスに移住した30年前、日系アメリカ人アンカーとして現地テレビのニュースで大活躍していたのがトリシア・トヨタさん。1995年に起こった阪神淡路大震災の際には、彼女が現地に飛んで被災者を取材していた映像を今も思い出す。他にもスポーツキャスターのロブ・フクザキさんや、2021年秋に日本政府から旭日小綬章を受章したKABCのアンカー、デビッド・オノさんも有名な「日系アメリカ人のジャーナリスト」だ。 そして、2022年の夏にオンラインで取材する機会を得たフレッド・カタヤマさんは、NHK、CNN、ロイターテレビジョンを舞台に取材活動を続けた「日系アメリカ人の元ジャーナリスト」。現在は米日カウンシルのバイスプレジデントを務める彼はジャーナリズムの世界からはシフトしたが、その業界経験はほぼ40年に及ぶ。 彼と知り合ったのは、パンデミック前に、ある団体がロサンゼルスで主催したパーティーだった。日系アメリカ人でありながら日本語が流暢なことが印象的なフレッドさんに、その2年後の同じ主催元のパーティーで再会した。その時、彼のタイトルは「ロイターテレビジョンのアンカー」から「米日カウンシルのバイスプレジデント」に変わっていた。なぜ、ジャーナリストから日米交流の非営利団体に転職したのか、そもそも彼はどのような生い立ちなのか、興味を持った私はニューヨーク在住の…

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