福田 恵子

(ふくだ・けいこ)

大分県出身。国際基督教大学を卒業後、東京の情報誌出版社に勤務。1992年単身渡米。日本語のコミュニティー誌の編集長を 11年。2003年フリーランスとなり、人物取材を中心に、日米の雑誌に執筆。共著書に「日本に生まれて」(阪急コミュニケーションズ刊)がある。ウェブサイト: https://angeleno.net 

(2020年7月 更新)

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戦後の日本に引き揚げた満州生まれの母の記録

第1回 満州での生活

「残留孤児だったかもしれない」 私が高校生の時、中国残留孤児と呼ばれる人々が来日し、記者会見を開いた。彼らは日本のどこかで暮らしているかもしれない親に対して、中国語で涙ながらに「会いたい」と呼びかけていた。日本語を理解しない人民服姿の彼らはどう見ても中国人にしか見えなかった。しかし、実際は戦後まもなく、当時の「満州」で親と離れ離れになり、中国人によって育てられたれっきとした日本人だった。私の母は、その記者会見の映像を見るたびに号泣しながら「私もあの人たちのように残留孤児になっていたかもしれない。他人事とは思えない。しかし、私の場合は母親が必死で、弟と妹と一緒に日本まで連れ帰ってくれた。感謝してもしきれない」と口にした。 当時の私が「満州」に抱いていたイメージは、第二次大戦前に中国に存在した日本による傀儡国家という、漠然としたものだった。しかし、そのイメージは、その後、山崎豊子が書いた、中国残留孤児を主人公にした「大地の子」を読み、満洲国の傀儡皇帝を描いた映画「ラストエンペラー」を見ることで、少しずつ具体性を伴うものとなった。 私の母、福田恵美子(旧姓は河野)は昭和12年(1937年)、満州で生まれた。最初に満州に渡ったのは、私の祖父に当たる河野進だった。大分県の日田林工高校を卒業した進は、満州の木材の伐採所に就職し、やがて故郷の大分県から妻、カヨを迎えた。製材業を営んでいた…

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米市場で焼酎普及に取り組む麻生将人さん

焼酎を世界の蒸留酒と肩を並べる存在に アメリカの日系マーケットでは、さまざまな日本の焼酎が販売されている。中でも大分県の「いいちこ」は、日本では超有名銘柄だが、アメリカ市場では在米邦人以外にもその知名度が高いとは現時点ではまだ言い難い。 そのような状況の中、Iichiko USA, Inc.のセールスマネージャーの麻生将人さんは「私たちは焼酎を世界の酒として認知されるように取り組んでいます。まだ世界に知られていないけれど、日本の焼酎を、ウィスキー、ジン、ウォッカ、テキーラと共にメインストリームで闘える存在にすることが目標です。それには相当時間がかかるかもしれません。例えば、アメリカではジャパニーズウィスキーがブームですが、ここまで実に30年、40年もの年月がかかっているのです。焼酎もそのくらいの期間がかかる覚悟を持って取り組んでいる一方で、ソーシャルメディア隆盛の現代では、もしかしたら3年後に目標を達成できる可能性もあります」と意気込みと期待を口にする。 そして、焼酎がウォッカやテキーラ同様にカクテルの材料として認知されるように、アメリカのバーの営業にも積極的に取り組んでいると語る。 麻生さんがアメリカに赴任してきたのは、2019年4月。その後のパンデミックで日本への帰国辞令が出たため、1年間アメリカを離れたことでトータルの赴任期間は2年。 「2年という経験ではあります…

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2016年渡米、夫の死を乗り越え新たな目標見つけたミカルペイン慶さん

人と違いを指摘する日本、自由が認められるアメリカ ミカルペイン慶さんと知り合ったのは、彼女の夫の死後、2021年に彼女が立ち上げた事業を取材したことがきっかけだった。2020年の1月にがんを宣告された慶さんの夫は、同年3月に亡くなってしまう。短いが、しかし壮絶だった介護生活を終えた後、慶さんはまだ4歳半の幼い息子とアメリカに取り残された。 慶さんが渡米したのは、夫の死のわずか4年前のこと。「主人と私は日本で知り合い、13年に結婚しました。子どもが生まれた後、彼は家族のためにアメリカに拠点を移したいと希望し、私もその決断に同意しました」。慶さん一家がアメリカでの拠点に選んだ場所はカリフォルニア州のオレンジ・カウンティーだった。 しかし、その時が彼女にとっての初めてのアメリカではなく、夫と子どもとの渡米から遡ること20年ほど前、1年間フロリダでホームステイ生活を送った経験があったのだと振り返る。 「私は父が日本人、母が日本に帰化した中国人というハーフです。それで、高校卒業後にフロリダ在住の母の中国人の知り合いに声をかけられ、ホームステイすることになりました。小学生までは私は無邪気な性格だったのですが、高学年くらいに家に呼んだ友達から、『お母さんの日本語、たどたどしいね』と言われたり、家の中国っぽい装飾をいじられたりしたことがきっかけで、内にこもるようになってしまったのです…

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ニッケイ物語 #11—いただきます3! ニッケイの食と家族、そしてコミュニティ

寿司を介した異文化コミュニケーション

寿司シェフいろいろ 在米ライターとして多くの寿司シェフを取材してきた。日本で修行、または実績を積んでからアメリカで寿司を握っている人、アメリカで初めて寿司シェフになった人、江戸前の伝統的なスタイルにこだわっている人、アメリカ人が好むロール寿司などの変化球型の寿司など顧客のリクエストに応じて伝統に固執することなく柔軟な姿勢で寿司を握る人。彼らの経験や寿司に対するポリシーは実に幅広い。もしかしたら、伝統にこだわるタイプの人は、寿司シェフではなく寿司職人または板前と呼ぶべきなのかもしれない。 私は個人的には伝統的な鮨(魚を使った美味い寿司を表現する場合に用いる漢字)が好きだ。カリフォルニアロールなどの変化球は積極的には食べることはない。しかし、別に自分が伝統的なタイプを好んで食べるからと言って、アメリカ人の多数派が好むロール寿司を否定する気は一切ない。 変化球型寿司店でバイト さて、話は大学生の娘ニナに移る。夏休みを迎えた彼女は自宅から徒歩圏内のショップやカフェ、レストランでバイト探しをして、一番先に面接が入ってしかもその場で採用してくれたYキッチンというテイクアウト専門の寿司屋で働き始めた。Yキッチンは、隣の市にも店舗があり繁盛店。この国ではよくあることだが、日本人ではなく韓国人経営のようだ。 そして、バイト初日までにメニューを全部覚えてくるように店長に言われたニナが、フラ…

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2001年渡米、スタント・キックボクサー経てLAで飲食店5軒経営の三浦大和さん

ハリウッド目指して ロサンゼルス郊外のアーケディアはサウスベイからもダウンタウンからも多少距離があり、筆者にとってはあまり馴染みがないエリアだ。サンタアニータ競馬場があること、その近くに巨大なショッピングモールがあることは知っているが、そこに日本人が経営する居酒屋TonChinKanがあることは、実は最近取材に行くまで知らなかった。日本人があまり群れないエリアで居酒屋を盛業させていることに驚いたが、オーナーの三浦大和さんは他にもダウンタウンとサンゲーブリエルにラーメン店を一軒ずつ、アーケディアに寿司店を展開していると知り、さらに驚かされた。そして、目の前に現れた当人はまだ30代半ば。しかも、元々の渡米の理由はレストラン経営ではなく、ハリウッドで活躍するスタントマンになることだったと言う。 生まれは東京。実家は毎晩のように黒塗りのハイヤーが表で待っているような料亭だった。「僕も小学生の頃から、板場に入って皿洗いや料理の盛り付けを嫌々ながら手伝っていました」。家業の手伝いの傍ら、三浦さんが熱中していたのがスタントだった。「12歳くらいから事務所に所属し、遊園地のヒーローショーなどに出演していました」。 中学を卒業すると、アクションスターのショー・コスギの下でアクションの修行を積むため、単身でロサンゼルスに渡ってきた。平日は高校で寮生としての生活、週末になるとショーさんの研修所で…

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