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1984年渡米、故郷、能登の義援金活動に取り組む南加県人会協議会会長の北垣戸和恵さん

海外の選択肢はなかった

南加県人会協議会60年の歴史の中で初の女性会長となった。

2024年が明けてすぐに大きな地震が日本を襲った。被災地となったのは石川県。遠く離れた、ここ南カリフォルニアでも能登半島地震の被災者に贈られる義援金活動が展開されている。中心となって取り組んでいるのは石川県人会の会長であり、南カリフォルニアの県人会を束ねる南加県人会協議会会長でもある北垣戸和恵さんだ。

北垣戸さんは石川県七尾市出身。文通相手だったロサンゼルス在住の日本人男性との結婚を機に、1984年、渡米してきた。「海外という選択肢をまったく考えたことがなく、何も知らない状態でアメリカに来ました。知らないということが(渡米を)決断できた要因かもしれません」。

ちょうど40年前の渡米当時は、オンラインで気軽に日本とつながる現在と状況は大きく異なっていた。「国際電話代も高かったですし、日系企業も今ほど多くは進出していませんでした。閉塞感を感じていましたが、幸運なことに子どもに恵まれ、子育てに追われる日々で忙しく過ごしました。デンタルテクニシャンとして独立した主人はずっとラボで仕事していたので、周囲の人は私のことをシングルマザーだと思っていたようです。今で言う『ワンオペ』のような状態でした」。

北垣戸さんは「石川県人は表に出たがらない一歩引いた性格の人が多い」と語る。南加石川県人会の会員と。

アメリカでは母親専業として過ごしてきた北垣戸さんにとっての転機は、今から15年ほど前に石川県人会の会長を引き受けたことだった。「前任者が同じ七尾の方だったので、手伝ってほしいと言われて会に関わった後、会長職に就き、さらに昨年からは、南加県人会協議会の会長にも就任しました。かつての協議会は、男性社会だったのですが、私が60年の歴史の中で初めての女性会長であり、現在、協議会に所属する県人会の半分以上が女性です」。

各県人会は元来、同郷人同士の助け合いを目的とした生活に密着した組織だった。しかし、オンラインで瞬時に情報が入手できる現代は、県人会の在り方や目的そのものが問われるようになってきている。北米沖縄県人会のように伝統芸能という柱を持つことで、若い世代を惹き寄せている組織もあるが、ほとんどの県人会が次世代への継承に大きな課題を抱えているのが実状だ。
 

県人会同士の交流の場を

南加県人会協議会として、各県人会の盛り上げ、そして県人会同士の交流を視野に、北垣戸さんは県人会が結集するお祭りのアイデアを温めてきたと語る。「互いの交流を促進するために、一同に集まってお祭りを開催するのです。そして各県人会が、伝統文化をはじめとする県ごとの特徴あるブースを出展するというのはどうだろうか、と話し合ってきました。そうすることで、若い世代にも県人会に魅力を感じてもらえるかもしれません」。

しかし、年頭に能登半島地震が発生したことで、義援金活動にシフトする必要が出たこと、毎年恒例の演芸会と同時に、2024年は南加県人会協議会設立60周年行事を開催することから、このお祭りの開催は来年以降に持ち越されることになった。

能登半島地震の義援金に関しては、南加県人会協議会でウェブサイトを立ち上げるとともに、協議会の会長として北垣戸さんが各県人会や団体の新年会に出席するたびに支援を呼びかけ、2024年3月20日現在で4万ドル超が集まっているそうだ。さらに4月19日から3日間開催される日系の祭典、OCジャパンフェアで石川県の特産品を即売するブースを出展し、来場者への協力を呼びかける予定。

さまざまなイベント会場で能登半島地震義援金活動を展開中

「義援金活動を開始してから、他州からも協力が寄せられています。ケンタッキー州の方からは、石川県出身者がいないのに、教会でバザーを開催して売り上げを送ってくださるとの連絡をいただきました。これまで日本では熊本県地震や東日本大震災など多くの地震があり、その度に私ももちろん心を痛め、できることはしてきましたが、今回、自分の故郷が被災地となり、改めて多くの方々の協力してくださるご厚意に驚きと同時に心からの感謝の念を抱いています」。

将来は日米二拠点生活が理想

さて、在米40年になる北垣戸さんから見る今の日本はどのように映っているのだろう。「日本に帰省した際、姪が自分の子どもの学校を休ませて空港まで私を見送りに来てくれると言った時に違和感を感じてしまいました。姪は『学校を休んで家族旅行に行く人もいるのだから』と言うのですが、学校を気軽に休むという価値観が私には理解できませんでした。日本が大切にしてきたもの、つまり昭和の人間の私がかつて大切にしていた価値観が、今の日本にはないというか、価値を図る基準が大きく異なっているように感じます」。

そして、アメリカに来て生活したことで、北垣戸さん自身はどのように変わったかも聞いてみた。「明るくなりましたね(笑)。どうにかなるっていう気持ち(が持てるように)。故郷の石川県は11月になると空が暗くなって、4月中旬くらいまで暗いのです。でも、ロサンゼルスは天気がいいし、それに多民族社会なので、いろいろな考え方があるんだと心を広く持てるようになりました。視野がすごく広がりましたね」。

最後に、将来はどこに住む予定かを聞くと、「私は日本とアメリカ、半分ずつがいいなと思っていますが、主人は仕事を辞めて引退したら、住むのはどこでもいいそうです(笑)」と答えた。ちなみにロサンゼルスで育った長男は留学先の慶應義塾大学を卒業し、そのまま日本の企業に就職、現在は家族で南米コロンビアに赴任しており、次男一家はシアトル在住だと話す。いつかは日米の二拠点生活を送りたいという北垣戸さんだが、それを実行に移すまでは南カリフォルニアの日系コミュニティーのために奔走する日々が続きそうだ。

能登半島地震義援金 >>

 

© 2024 Keiko Fukuda

能登半島地震(2024年) 災害救援 危機管理 石川県 日本 南加県人会協議会 能登半島
執筆者について

大分県出身。国際基督教大学を卒業後、東京の情報誌出版社に勤務。1992年単身渡米。日本語のコミュニティー誌の編集長を 11年。2003年フリーランスとなり、人物取材を中心に、日米の雑誌に執筆。共著書に「日本に生まれて」(阪急コミュニケーションズ刊)がある。ウェブサイト: https://angeleno.net 

(2020年7月 更新)

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