https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/235/
一世実業家(1900-2005)
Japanにね、Japanで18の時に、大阪で、大阪で24円の月給でね、20円みなだして買うた。そして、ボートへ来て、一人でキーコキーコやった。自分で、停泊して遊んでる時に、みんな遊びに行くやろ。わしが行かんと、キーコキーコやってみた。のこぎりの目立てや(笑)。一人でやってた。そしたら、だんだん弾けるようになってくる。
[バイオリン演奏]
日付: 2004年10月14・17日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: 山本 恵理子
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
カズオ・フナイ氏はカリフォルニア州ロサンゼルスのセントラル・アヴェニューでマーケット(食料品店)を経営していた和歌山県出身の一世です。インタビュー当時は104歳でした。第2次世界大戦が勃発する直前の1941年、日本への帰国を前提に東京に会社を設立しました。しかし、真珠湾攻撃のため日本へ帰国することができなくなり、経済的にも破綻、最終的には家族とともにアメリカの強制収容所へ入ることを余儀なくされました。しかし、このような困難にもかかわらず、戦後はビジネスマンとして成功しました。
2005年3月3日(木)105歳で亡くなりました。(2005年8月16日)
ファッションとアイデンティティ(英語)
演歌歌手(1981年生)
人種や伝統を超えて、人は夢を追うべき(英語)
自分らしく歌うためのスタイル
アメリカでの初コンサート
政府に対するアニメーション(英語)
(1933-2014) 日系アメリカ人アニメーター
エド・サリヴァンの「ザ・オールネイビー・ショ-」への出演(英語)
ハワイ出身のウクレレ奏者(1934年生)
『Song for Anna』(英語)
日本での演奏(英語)
日本人でもありアメリカ人でもある(英語)
音楽家、作曲家、ソングライター(1975年生)
ペルー系沖縄人としての両親のアイデンティティ(英語)
ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人