ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/233/

結婚相手を紹介

35の時に、嫁見に行って、そしたら最初はね、幸子っていう女の子、さちこ、幸いの子、そしたら、そっちゃ見て、もう歳いってるから誰でもええわね。誰でもええと思ってたら、牧師がね、あっちからやって来て、パークサイドへやって来て、なんだかんだ聞くんや。そしたら、わしはもう、なんや、飲み会もするし博打もするんやいうて、牧師と[?]。そしたら、一発断ってきた。そしたら、今のは2回目。結婚してね、One-year (1年)たってね、今度はグレンデールに2番目の店をオープンした。そしたら、競争が激しくてね、もう毎日毎日、[?]の山よ。むちゃくちゃや。最初の嫁さん、幸子っていう子ね、あとで地団駄踏んで悔しがった。それから5件(店を)増やした。


結婚 結婚の仲介 お見合い結婚

日付: 2004年10月14・17日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: 山本 恵理子

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

カズオ・フナイ氏はカリフォルニア州ロサンゼルスのセントラル・アヴェニューでマーケット(食料品店)を経営していた和歌山県出身の一世です。インタビュー当時は104歳でした。第2次世界大戦が勃発する直前の1941年、日本への帰国を前提に東京に会社を設立しました。しかし、真珠湾攻撃のため日本へ帰国することができなくなり、経済的にも破綻、最終的には家族とともにアメリカの強制収容所へ入ることを余儀なくされました。しかし、このような困難にもかかわらず、戦後はビジネスマンとして成功しました。

2005年3月3日(木)105歳で亡くなりました。(2005年8月16日)

ジェームス・ヒラバヤシ

父方と母方の家族関係 (英語)

(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者

キミ・ワカバヤシ

見合い結婚 (英語)

日系カナダ人一世。1931年にカナダへ夫と移住。(1912年生)

モニカ・小木曽

アルゼンチンへ移住してきた家族背景(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

高木一臣

非日系人との結婚(スペイン語)

『らぷらた報知』ジャーナリスト (1925-2014年)

ハワード・カキタ

二世の両親(英語)

広島で被爆した日系アメリカ人(1938年生)