インタビュー
ユタ州ソルトレイクシティへの自発的な移住
ご存知のように、大統領令が発令されたとき、私の両親と福井の親戚数名、そして村の友人たちは、政府が来て自分たちを迎えに行き、神のみぞ知る場所に連れて行かれるのを待ちたくないと決心したのです。
そしてユタ州は多くの日本人が訪れる場所でした。
ソルトレイクシティに来たときのことを覚えています。両親はそこにアパートを借りて住んでいました。私は学校に連れて行かれましたが、とても興奮してほとんど信じられませんでした。実際に幼稚園に通っていたときは、ただ興奮しただけでした。学校に通えることがとてもうれしかったのですが、その後、定期的に通えないと言われてとても悲しくなりました。年齢が足りなかったのか、何か理由があったのか、とにかくとてもがっかりしました。
しかし、私たちはソルトレイクに住んでいました。両親は、ジョーダン川沿いにあるとても大きな花屋、ブラウン・フローラル・カンパニーに就職しました。ブラウン氏とその家族は私たちにとても親切でした。
私の母と父は二人とも父のもとで働いていました。ご存知のとおり、花屋の会社でいろいろな仕事をしていました。私は彼らの息子のデイビッドとよく遊んでいました。私たちはよくいたずらをしていました。いつも問題を抱えていました。
私たちはそこで何年も過ごしました。そして、とてもいい時期だったことを覚えています。
私たちは近くに住んでいて、父が仕事から帰ってくるときには、途中で会って、父に背負ってもらっていました。そして、私たちは小走りで家に帰りました。それは私にとっていつも楽しいことでした。
日付: 2022年5月13日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: エヴァン・コダニ
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター