ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1852/

トーランスへの引っ越し

両親は、私が育つにはそこが最適な環境ではないと感じていました。それで、トーランスに土地を買いました。2エーカーの土地で、両親はそこに住む他の家族とたくさん知り合いでした。苗木園を経営している日本人の家族​​で、みんな苗木を卸売りしていたんです。

そして、彼らが購入した土地の写真を皆さんにお見せしたと思います。そこには小さな家が 2 軒ありました。そのうちの 1 軒には私たちが住んでいました。もう 1 軒には、小さな子供が何人かいる男性が住んでいました。

母はよく他の苗床にいる友達を訪ねて、彼らがどんなふうにやっているかを見て、何を植えて、どうやって育てているのかなどを調べていました。そして家に帰って、それを真似していたのです。

そして父は温室を買うお金がなかったので、ガラスの温室を建てました。

それで父はプラスチックで温室を作りました。それが彼らの最初の温室でした。

そして彼らはお金を稼ぎ始めました。そして家を建て始めました。アメリカで何年も暮らした後、初めて購入して建てることができた家でした。

そして、彼らは友人を何人か作りました。彼らの顧客である他の卸売業者の人たち、特に一組のカップルと彼らは非常に親しい友人になり、そのカップルと一緒にヨーロッパや他の場所を旅行しました。

彼らが初めて、そのようなことをするのに十分なお金があり、安心できる境地に達したのだと思います。それは素晴らしいことでした。


カリフォルニア州 トーランス アメリカ合衆国

日付: 2022年5月13日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: エヴァン・コダニ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

坂田玲子さんは、1939年に生後5か月でロサンゼルスの孤児院から一世の両親に養子として引き取られました。投獄を避けるため、家族は他の日本人とともに1948年までユタ州ソルトレイクシティに移住しました。ロサンゼルスに戻った坂田さんの両親は、彼女が育ったイーストロサンゼルスでコインランドリーを経営しました。数年後、坂田さんと両親はトーランスに引っ越しました。坂田さんはトーランス高校を卒業し、カリフォルニア大学バークレー校に進学しました。結婚後、坂田さんは夫とともにオハイオ州ケント州立大学に移り、「ケント州立大学銃乱射事件」を目撃しました。坂田さんはノースカロライナ大学でビジネス開発の博士号を取得し、組織開発とビジネスの教員を務めました。坂田さんは両親が亡くなる前に南カリフォルニアに戻り、両親の手伝いをしました。坂田さんは定年退職前、32年間にわたりさまざまな業界や分野で起業家やビジネスウーマンとして活躍しました。現在はカリフォルニア州モンロビアに住んでいます。 (2023年5月)