ディスカバー・ニッケイ

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文化人類学から法学への転向(英語)

(英語)私の専攻は人類学で、副専攻は社会学でした。人類学者になろうと思っていました。その後、教員免許の取得を目指しました。研究助成金で自分と婚約者の結婚後の生活を成り立たせることはできないと考えたからです。それに助成金を受ければ外国に行く必要性が生じることはほぼ間違いありませんでした。博士号取得のためのスポンサーを見つけなくてはならなかったので、教育学部の研究助手と試験採点者になりました。

どのようにキャリア転向したかというと、教職に就いてしばらく経ち、終身雇用保証を得た後に妊娠したことがきっかけでした。私の学区では休職できるのは1年だけでしたが、私はまだ教職に戻る用意ができていませんでした。夫が南カリフォルニア大学ロースクールに通っていたとき、法律扶助サービスでボランティアをしたことがありました。アジア系コミュニティへの支援活動の一環としてチャイナタウンに行き、何度か活動しました。リトルトーキョーでアジア系アメリカ人への支援サービスの立ち上げのために通訳として父に同行してもらったこともあります。これが法律の道に転向したきっかけです。より柔軟な活動が可能で、人の役に立つことができる道だと思いました。


裁判官 法律 職業

日付: 2018年7月27日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: キラ・マツノ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター; Japanese American Bar Association

語り手のプロフィール

カリフォルニア州ロサンゼルス郡最高裁判事。カリフォルニア州トーランスで生まれ、ハーバーシティで育つ。アジア系アメリカ人女性として初めて米連邦地検民事部に採用され、マイノリティとして初のトーランス教育委員会公選役員となり、裁判官として初めてロサンゼルス生物医学研究所の役員を務めた。現在ロス・パドリノス少年裁判所の裁判官を務めている。ワッサーマン判事は、多様性がある友好的な地域で育ったので、安心して日系アメリカ人でいることができた。現在は、日系アメリカ人コミュニティと関わりながら、多様性促進のために活動し、弁護士や判事へ助言を行っている。(2018年6月)

A. ウォーレス・タシマ

日系アメリカ人弁護士として拒絶される(英語)

連邦控訴裁判所での職に任命された初の日系アメリカ人(1934年生)

ミシェル・ヤマシロ

共感する米国的な価値観(英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

ミア・ヤマモト

アジア太平洋諸島法学生協会の共同設立

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

サブリナ・シズエ・マケナ

若いアジア系アメリカ人女性としての自信

(1957年生まれ) ハワイ州最高裁判所判事。