ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1492/

米国に残り市民権を取得する決意(英語)

(英語)もう一度生き方を変えてみようと思い、私は決めました。そしてカリフォルニア州立ポリテクニック大学に応募し、採用されることになりました。当時は長く住み続けられるかどうか全く分からなかったので、3年以内に戻るよ、なんて言っていました。

しかし、私の仕事はとても好意的に受け入れられ、子供たちはここで育っていました。それで、「このままここで暮らしていこうか」と、妻と私は決めたのです。長男のコウジには市民権があり、それなら両親にも市民権があった方がいいのではないかと思い、1989年に米国市民になることにしました。


1960年代 公民権 公民権運動 日本 学生運動 学生ストライキ

日付: 2016年8月10日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ソージン・キム、ジョン・エサキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1940年3月25日、13代続く大阪の庭師の家に生まれる。1962年大阪府立大学旧農学部を卒業後、京都大学大学院に進学。その後、カリフォルニア大学バークレー校に留学し修士号を取得。1969年に帰国し、京都大学で造園学を教える。1970年大阪で開催された日本万国博覧会の庭園設計に貢献。同年カリフォルニアに戻り、州立ポリテクニック大学ポモナ校の環境デザイン学部ランドスケープ学科で教えるかたわら、公共スペースや企業、個人宅の造園を手がけ、伝統的な日本様式に第二次世界大戦後のカリフォルニアの気候やライフスタイルを融合させた。

主な作品に、カリフォルニア州サンマリノのハンティントン図書館にある日本庭園の修復、トーランス・カルチュラル・アーツ・センターのパイン・ウィンド・ガーデンのデザイン、ロサンゼルスのリトル東京の日系アメリカ人文化コミュニティーセンター内ジェームズ・アーバイン・ガーデンのデザインがある。

上杉教授は、2000年に30年間教員として勤めた州立ポリテクニック大学ポモナ校から退職したが、名誉教授として活発に活動を継続した。2010年、長年の貢献が認められ日本政府から瑞宝中綬章を受章。2016年1月、75歳で永眠。(2016年4月)

 

* このインタビューは、2007年に全米日系人博物館で開催された「Landscaping America: Beyond the Japanese Garden」展のために、学芸員ソージン・キムが行ったものです。

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