ディスカバー・ニッケイ

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静かな戦士たち


2021年1月26日 - 2021年12月20日

1942年2月、日本軍が真珠湾を攻撃した2ヶ月後、故ルーズベルト大統領の発令9066のもと、約12万人の日本人、日系人が収容所に送られた。その3分の2はアメリカ生まれの二世達。彼らの生き様は主に2つに分かれた。「アメリカに忠誠を誓いますか」の問いに「NO」と答えた「ノーノー・ボーイ」と、強制収容所から志願または徴兵され「442部隊(日系人のみで編成された部隊)」または「MIS(米国陸軍情報部)」でアメリカ軍へ貢献した若者たちだ。高齢になりようやく閉ざしていた口を開いた二世の戦士達。戦争を、体を張って通り抜けて来た彼らだからこそ平和を願う気持ちは大きい。その声を13回に分けてシリーズでお届けする。

*このシリーズは、2003年に当時はまだ健在だった二世退役軍人の方々から生の声をインタビューした記事として『北米報知』に掲載されたもので、2020年に当時の記事に編集を入れずにそのまま『北米報知』に再掲載されたものを転載したものです。



このシリーズのストーリー

ポール・ホソダさん

2021年6月16日 • 天海 幹子

「平等と公正さ、それが僕にとっては考え方の出発点になっているんです」と語るポール・ホソダさんの土台には高校時代から触れていたキリスト教の思想がある。「神の下では全ての人間は平等である」と強く信じるホソダさんの傍らには、48年連れ添ったメアリー夫人が微笑む。 2人はホソダさんが除隊後通い出した、シアトルのブレイン・メモリアル・合同メソヂスト教会で知り合った。「最初は女の子を探しに行ったんですよ。教会は人に出会うにはもってこいの場所だから」と照れながらも、現在も2人は教会…

ミツル・タカハシさん

2021年4月21日 • 天海 幹子

「ブロンズ・スター(勲章)はあんまり意味がないんですよ。戦争に行った人はだいたいもらえるから。これがシルバー・スターで、これがパープル・ハート(名誉戦傷勲章)。ドッグ・タッグ(兵士が首から下げる「犬の鑑札」と同じ様なID札)。これが大統領からの感謝状。そしてこれは除隊証明書」と額に入った数々の記念品を指して笑顔で説明するミツル・タカハシさん。ミネドカ(*)収容所の高校からスイート・ハートだった、奥さんのジューンさんがまとめてくれた額だ。 「どこを怪我したんですか」との…

パット・ハギワラさん

2021年4月7日 • 天海 幹子

「僕はラッキーだったと思いますよ。アラスカで生まれてからずっとね。小さなコミュニティだったから、お互いをよく知っていて、学校なんかも幼稚園から高校まで1つの校舎でね。日本人が9軒か10軒集まっていたメインストリートのステッドマン街では、冬は店を閉めて、子供たちが坂の上からそりで滑ってくるんですよ」 まるで昨日の事に様に楽しそうに話すのは、パット・ハギワラさん(84)。アラスカ州兵軍から442部隊に送られた4人の二世兵士の1人だ。物静かな日常を好む、穏やかな日系人というイメ…

アート・進(ススミ)さん

2021年3月24日 • 天海 幹子

「恐くはなかったですよ。戦争で周りに死んだ人を沢山見ていましたからね」と語るのは22歳で葬儀屋になったアート進(ススミ)さん。亡骸(なきがら)と同じ屋根の下で眠るのは恐くなかったかの問いの答えである。第2次世界大戦では442連隊部隊で活躍し、ブロンズ・スター賞を受けたススミさんは全米でも数少ない、ワシントン州では唯一の日系葬儀屋のディレクターを43年務め、91年にそのERバターワース葬儀社を退職した。戦争が、若かったススミさんのその後の人生に少なからず影響していることは事実…

ジョージ(ガンジロー)・モリヒロさん

2021年3月10日 • 天海 幹子

「戦争にね、あの時の僕は興奮させられたなぁ」と、危険とも取られる発言をするのはジョージ・モリヒロさん。「でもね、誤解しないで下さいよ。僕は17才だったから。ライフルを持って国のために戦うことにわくわくしていた。周りにいくらドイツ兵が倒れてたって、自分たちは決して死なないと思っていた」。それが銃弾がヘルメットの右端をかすって軽い負傷をした時、「死ぬ事もあるかもしれないって思いました」。 モリヒロさんはタコマ市近くのファイフに生まれる。農業に適している肥沃な土地だったが、広島…

エディー(英義)・堀川さん

2021年2月24日 • 天海 幹子

「大戦後のヨーロッパで子供たちが食べ物をせびりに来るんですよ。なべを持ってね。白人の兵士たちは(子供たちを)邪険に扱ったり、目の前でわざと残り物をゴミ箱に捨てたりしていたけれど、僕たち二世兵士は1人1人に少しづつ分けてあげました。アメリカの収容所にいる(日系の)子供たちだと思ってね」と堀川(エディー)英義さんは語る。 入隊前パインデールの仮収容所で200人の子供たちにアートを教えていた堀川さんは、戦争が子供たちに及ぼす影響を目の当たりに見ている。「子供たちが悪さをする…

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このシリーズの執筆者

東京都出身。2001年から2005年まで北米報知でジェネラルマネージャー兼編集長を務める。北米報知100周年記念号発刊。「静かな戦士たち」、「太平洋(うみ)を渡って」などの連載を執筆。シアトルの二世退役軍人のインタビューが、最も心に残っているという。昨年11月、44年のシアトル生活を終え、現在は東京在住。

(2021年1月 更新)