ジャーナルの検索
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母と再会した経緯
日系家族というこの日記のテーマについて考えたとき、私は自分の家族がいかに私を形作ってきたか、しかし、私自身が日本人コミュニティーに関わっているときに、家族をほとんど含めていないことに気付きました。さ…
チャンダ・イシサカ • 2015年10月15日
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ミニドカ巡礼は若い世代に新たな使命を与える
第11回ミニドカ巡礼が6月25日から28日まで開催され、私は委員会の奨学生として参加しました。4日間のツアーでは、約200名の参加者が、かつて日系アメリカ人強制収容所だったミニドカ国立史跡を訪れ、収…
岩崎 史香 • 2015年9月15日
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第四章 荒野の強制収容所:1942年から1946年にかけて — 後編(1)
第三章(6)を読む >>
先日、学校の補習が終ったあと、今まで行ったことのないパン屋さんへ向いました。バスを乗り継ぎ、地図アプリを頼りに歩き、一時間近くかかって辿り着きました。
私の夢は自分…
ブロケット ゆり • 2015年5月25日
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第三章 荒野の強制収容所:1942年から1946年にかけて — 前編(5)
第三章(4)を読む >>
2. 1943年子どもの日常———冬
1ヶ月前から、ハートマウンテンの大人たちは、管理局も日系人も力を合わせて、収容所内に数カ所ある…
ブロケット ゆり • 2015年5月11日
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第三章 荒野の強制収容所:1942年から1946年にかけて — 前編(4)
第三章(3)を読む >>収穫の手伝い———晩秋 実りの秋でもあります。農産物の収穫期ですが、カリフォルニア、アリゾナ、アイダホ、ワイオミングとどこの農園でも人手不…
ブロケット ゆり • 2015年5月4日
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第三章 荒野の強制収容所:1942年から1946年にかけて — 前編(2)
第三章(1)を読む>>収容所内新聞から見るコミュニティ図書館 各収容所では当初ガリ版刷で新聞が発行され、WRAからの通達からコミュニティ・ニュースまでを、各家庭に届ける重要な役割を担っていました。W…
ブロケット ゆり • 2015年4月20日
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第三章 荒野の強制収容所:1942年から1946年にかけて — 前編(1)
第二章(6)を読む>> またもや受け入れ準備不完全なまま、陸軍は「集合所」から人里はなれた内陸部にある「転住所」に日系人を移動させることを決行。ピュアラップ仮収容所から、普段使われていない古い車両で…
ブロケット ゆり • 2015年4月13日
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第4回 キモチを双肩に担うミネドカの旅(後編)
前編を読む >> 季節外れの肌寒い風が吹きすさぶ早朝、ミネドカの旅参加者約200人が収容所跡地の入り口に降り立つ。近くには当時の敷石が残る「ビクトリーガーデン」、すぐ横に収容所から米軍に志願した日系…
渡邉 朔 • 2013年10月23日
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第3回 キモチを双肩に担うミネドカの旅(前編)
日系人たちの記憶を如何に次世代へ継承するか――。
一世の声を聴くことが不可能に近い今、第二次世界大戦の収容経験を持つ二世たちも高齢を迎え、問題は年々、切実なものとなっている。今年で11年目を迎えた…
渡邉 朔 • 2013年10月9日
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Struggle for Identity
As I think about my name and what it has meant to me over the different stages of my life, I see th…
ロイ・ウェスリー • 2014年8月14日