3年ぶりにブラジルへ戻ったパウロは、日曜日、子供のころから通っていた教会へ一人で向かった。
パウロの家族は教会へ行く習慣がないので、「父さんと母さんはイビラプエラ公園へジョギングに行き、妹たちはまだ寝てるにちがいない」と思っていた。
アーチ型のドアとステンドグラスの窓の教会を久しぶりに見て、懐かしく思った。中に入って、先に来ていた祖母に挨拶をして、横に座った。
礼拝が始まり、讃美歌の時間になった。よく見ると、オルガンの演奏者は妹のカレンだった!しかも、父親と母親と妹のエリカが20人ほどのコーラスに参加していた。
驚いて横を見ると、おばあさんはパウロを見て微笑み、再び讃美歌の美しい音色に聞きいった。
礼拝後、教会のメンバーと食事を共にしているとき、父親は言った。
「パウロが無事日本で3年間を過ごせたこと、家族が健康で元気で居られること、全ては神様のお陰だ。心から感謝している。今は家族で神様に仕えることが、最大の喜びとなっているんだよ」と。
「なるほど。カレンが言っていた『ビッグニュース』とは、このことだったのか。神様、ありがとうございます」と、パウロは感謝した。
神学校を中退して日本へデカセギに行ったパウロだが、また神学の勉強を始めることにした。教会の奉仕活動にも積極的に参加した。学校や日系人会から、日本での体験談を話してほしいと頼まれた。日本で働きたい人、勉強をしたい人が多いのにパウロは驚いた。
2020年4月、新型コロナが世界的に流行し、感染拡大防止のため、外出や行動が制限された。印刷会社の仕事は減少したが、両親は教会に協力して病院や医療施設に寄付するマスク作りに取り組んだ。
パウロと妹たちは、お年寄りの手助けをした。さらにパウロは、家にパソコンがなく、リモート授業を受けられない小・中学生のサポートをするグループを立ち上げた。
翌年、神学校を卒業したパウロは、サンパウロ州プレシデンテ・プルデンテの教会に赴任、特に日系人の伝道に携わった。
それは、ブラジルの学校へまともに行けず、ポルトガル語がよく分からない、一世高齢者に対し、日本語で対応するという重要なミッションだった。
この時パウロは27歳。2年間付き合っていた神学校の後輩ノエミと婚約した。
2023年の初め、パウロは日本にあるブラジルの教会の牧師に任命された。国を離れ遠い日本へやってきたデカセギたちは、その多くが孤独を感じ精神的な慰めを必要としていた。日本ではパウロもまさにその一人でだったので、喜んで新しい任務を引き受け、再び日本へ行く準備を始めた。
パウロは、日本へ出発する直前の3月にノエミと結婚し、日本で二人の新たな生活をはじめるつもりだった。
それを知ったおばあさんは、パウロたちが日本へ行くとき、一緒についていくことにした。二人の新しい生活の準備を手伝いながら、一度も会ったことのない北海道の親戚を尋ねてみようと計画を立てた。
また、両親は娘たちの夏休みを利用して、パウロを訪れることにした。初めて日本旅行だった。夏に大学を卒業する予定のカレンは、日本でグラフィックデザインの仕事をしたり、条件次第では臨時の仕事を探してもいいなと希望を膨らませる。
長年夢見ていたブラジルでの家の購入は実現しなかったが、家族は皆、これからの日々に希望を抱いていた。
パウロは二度目の日本滞在にあたり、特別な思い入れを持って神様に仕えたいと強く願った。