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第12回(前編)国語学校での2世教育

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第11回にお伝えした写真結婚から多くの日系2世が誕生したことで、アメリカで生まれた子供たちの日本語教育がシアトル日本人社会での課題になった。今回は、2世の日本語教育のために創立されたシアトル国語学校についてお伝えしたい。

シアトル国語学校創立

シアトル日本人会は1902年に、北米最初の日本語学校としてシアトル日本人会付属小学校を創立した。創立当時、生徒数は4人、教師1名だった。1908年にシアトル国語学校へ名称変更した。

校舎は日本人会の建物内にあり、その後にシアトル仏教会地下室に移転。生徒数が増加したために、1912年に新校舎がウェラー・アベニューに新設された。この新校舎の2階の窓からはㇾニア山の壮大な眺めを見ることができた。この校舎は、現在もワシントン州日本文化会館として現存している。

増築工事・落成式

1917年末に、更に4教室の増築が計画された。この増築工事の様子を記載した記事があった。

「増築委員会」(1918年1月8日号1) 

「国語学校増築工事も茲(ここに)十余日にて全く竣成(しゅんせい)すべき運びとなり居れるが、奥田平次会長及び委員宮川万平氏は近々帰朝の筈なるにより、同委員は昨日実業倶楽部に会して種々協議したるが、今日までの寄附金は6789ドル10セントに及び今後寄附あるべきもの1300~1400ドルあれば合計上には何等差し支へを生ぜざるべしと。

尚前記二氏帰朝後は補欠をなさず伊東忠三郎副会長並びに現委員にて新建物の契約を了し、会計報告をなすこと。岩村次郎集金主任及び助手も一月以後は無給にて後始末をなすこと等を決議して散会せりと」

「増築委員会」(『北米時事』1918年1月8日号)

このように国語学校の増設工事はシアトル日本人の寄附金により実施された。寄附金合計の約8100ドルは現在の価値で約1600万円ほど。会計業務も無給のボランティアが行っていたとあり、1世達がアメリカ生まれの子供たちの教育のために、いかに力を注いでいたかが伺える。

また、1918年5月には、国語学校で、増築落成式をかね生徒による学芸品展覧会が行われた。

 「国語学校学芸会、増築落成式」(1918年5月11日号)

「国語学校に於ては明日曜日午後一時より五時まで増築落成式を兼ね生徒学芸品展覧会を開催する由。式は正三時校庭に於て挙行。順序は司会者、高畠校長、▲挨拶、司会者 ▲君が代、生徒一同 ▲学事報告、校長 ▲増築収支報告、岩村増築委員 ▲祝辞、秋吉学務部長 ▲同、松永領事 ▲謝辞、伊東会長 ▲米国国歌、生徒一同」

このプログラムを見て驚くことは、最初に生徒達が日本国歌の「君が代」を歌い、そして最後に米国国歌を歌っていることである。生徒達は、みな平日は米国人と同じように公立小学校へ行き、終了後に国語学校へ通っていた。2世の子供達はアメリカの教育と日本の教育を同時に受けるという過酷な状況にあった。

当時の日系人社会では、アメリカの社会にとけこもうと米化主義の気運が高まっており、2つの国家が目指すところを満足する2世を育てようとしていた。

1920年1月1日号に、生徒達が校舎の前で集合した写真(下)が掲載されていた。左後ろに見える建物が、増築された校舎だと推測される。

シアトル国語学校生徒(『北米時事』1920年1月1日号)


国語学校維持会

国語学校は日本人会から独立し、国語学校維持会によって維持管理されるようになり、維持会員の会費や寄付金により運営された。その総会の様子の記事が掲載されていた。

「維持会総会」(1920年2月26日号)

「国語学校維持会臨時商議会は一昨夜実業倶楽部に於て開催。卒業證書印刷、教室掃除人存続及び3月4日総会を開き父兄会費増加の件、並びに補習科を高等科と改名するの件を提出協議するを可決したりと。因(ちなみ)に同校昨年度一人、一ケ月の教育費平均額は2ドル30セントなりと」

教育費の当時、月間2ドル30セントは現在に置き換えると約5000円ほどとなる。文献によると、1919年の生徒数は187名で、国語学校全体の教育費は年間5161ドル、現在に置き換えると約1000万円程度になる。

国語学校卒業式

1918年3月25日号には国語学校の第10回目の卒業式についての記事が掲載された。

「国語学校卒業式」(『北米時事』1918年3月25日号)

「国語学校第10回卒業式が昨日午後1時日本館で開かれたるが、卒業生は男8名、女6名にて式は高畠校長の挨拶に始まり壮重(そうちょう)に執行せられた。当日出席の各生徒に配布したる菓子は 古屋商店、東洋貿易、シアトル正金銀行、日米仲買、平出商店より寄付された。在校生第1学年から第8学年までの一等賞(4名)、二等賞(15名)、特別賞(30名)の氏名が掲載。12時半に、同校内で記念撮影、古屋夫人より卒業者一同に祝品が寄贈された」


ベルビュー国語学校

新しく創立されたベルビュー国語学校の開校式の様子を伝える記事が1918年4月8日号に掲載された。

「ベルビュー村にては学齢児童既に20有余名を算するに至りたるを以て、今回、岡村夫人を教師に招き、国語学校を開設することとなり、昨日国語学校開校式を挙行した。シアトルより中島日会書記、大北日報社の中村、神部利吉諸氏、及び本社の有馬等参列したり。松沢理事司会、山極啓吉君勅語を奉読し、有馬、中村、中島、龍崎諸氏の祝辞又は演説あり。

終わって茶菓の饗宴ありて盛会なり。同村の須田君は特にシアトルよりの来賓を其宅に招きて昼食を供し大に歓待したり。因に岡村夫人は鹿児島県大隅の人にして其郷里に於て長く小学教育に従事したる事ありという」


国語学校についての意見

ベルビュー国語学校開校式で挨拶した北米時事社社長の有馬純清(すみきよ)が自身のコラム「随感随筆」で演説内容について語っていた(1918年4月8日号第一面)。

 「我等は純然たる日本人であるけれども、我等の子孫は米国の市民たる者である故に米国的教育を主とし、日本的教育は単に日本語を教えるという位に止めて然るべし。米国に生まれ、米国の市民であり、米国の教育を受ける児童に向い、日本主義を鼓吹し、日本的教育を授けるのはよくない。米国人が之を知るならば必ず日本人の国語学校に反対し、且つ日本人は到底同化し得ざる人種なりとて排斥するであろう。

されば国語学校には善良なる人物を造るを目的とし、同時に単に日本語を教えれば事足りる。即ち天を敬し、人を愛し、正義を尊び、社会に貢献すべきを教えれば善いのである。然らば彼等子弟は米国に在りては善良なる米国の市民となり、若し又日本に帰って生活する時には忠実なる日本臣民となるであろう」

アメリカは第一次大戦後、国内にいる外国人すべてに米化主義を徹底させることに最高に高揚した時期だった。有馬純清社長は2世がアメリカ社会に馴染むように、国語学校を運営していく必要があることを力説している。

下記の記事は北米時事社ポートランド支店主任で後の社長となる有馬純義(すみよし)から依頼され、国語学校校長の妹尾萬郎が寄稿したものだ。この記事の中で妹尾は国語学校について意見を述べている。

「ポートランド市国語学校に就いて」(1919年1月1日号)

「各地国語学校は依然其の地方地方によって立案さるゝ。在来の制度に準じ、更に時代の要求に応ず可く、識者或は父兄の意を斟酌して、一意向上発展を計って居るのである。此の意義により『米主日従』主義は、昔より依然として変わらざる当地国語学校の根本的方針である。大綱においてこうであるから、学校に於ては主に日本の『国語』を教えるという事が本旨でその他に理屈はなし」

ポートランド市国語学校(『北米時事』1919年1月1日号)

(*記事からの抜粋は、原文からの要約、旧字体から新字体への変更を含む)

続く >>

注釈:

1.特別な記載がない限り、すべて『北米時事』からの引用。

 

*本稿は、『北米報知』に2022年4月4日に掲載されたものに加筆・修正を加えたものです。

© 2022 Ikuo Shinmasu

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このシリーズについて

北米報知財団とワシントン大学スザロ図書館による共同プロジェクトで行われた『北米時事』のオンライン・アーカイブから古記事を調査し、戦前のシアトル日系移民コミュニティーの歴史を探る連載。このシリーズの英語版は、『北米報知』とディスカバーニッケイとの共同発行記事になります。

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『北米時事』について 

鹿児島県出身の隈元清を発行人として、1902年9月1日創刊。最盛期にはポートランド、ロサンゼルス、サンフランシスコ、スポケーン、バンクーバー、東京に通信員を持ち、約9千部を日刊発行していた。日米開戦を受けて、当時の発行人だった有馬純雄がFBI検挙され、日系人強制収容が始まった1942年3月14日に廃刊。終戦後、本紙『北米報知』として再生した。

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執筆者について

山口県上関町出身。1974年に神戸所在の帝国酸素株式会社(現在の日本エア・リキード合同会社)に入社し、2015年定年退職。その後、日本大学通信教育部の史学専攻で祖父のシアトル移民について研究。卒業論文の一部を日英両言語で北米報知とディスカバーニッケイで「新舛與右衛門― 祖父が生きたシアトル」として連載した。神奈川県逗子市に妻、長男と暮らす。

(2021年8月 更新)

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