ビール会社退職後に起業、蕎麦屋を開店した理由
ここ数年、南カリフォルニアの日本食地図はますます濃密になっている。1960年代に上陸した寿司、その後の天ぷら、しゃぶしゃぶ、最近は居酒屋、ラーメン、うどん、焼き鳥とアメリカ人が知る日本食の種類は益々多彩になりつつある。そして、蕎麦。20年ほど前にロサンゼルス南郊のガーデナに開店したお多福という蕎麦店に人気が集まり、数年前にはタスティンに田中家が誕生し、蕎麦の知名度は深く静かに浸透しているのが蕎麦だ。
その蕎麦ブームを一気に高みにまで押し上げる可能性を感じたのが、オレンジ郡のラグナヒルズに2018年秋に開店した蕎麦居酒屋みなみだ。サウスベイにまで伝わってきた「みなみの蕎麦は美味しい」という噂を頼りに同店を訪れたのは2019年2月だった。天井が高くロフト風のモダンなインテリア。伝統的な蕎麦屋とはかけ離れた雰囲気だが、後でオーナーの服部さんに聞いたところによると、「蕎麦を打つ工場のイメージ」を内装に反映させたのだそうだ。
この日、私がオーダーしたのはごぼう天蕎麦。打ちたての蕎麦のコシとサクッと揚がったごぼうが絶妙だったが、その味や食感と同時に驚かされたのは、蕎麦の量を100g、200g、300gの中から選べるというシステムだ。3種類のどれを選んでも料金が同一な点も新鮮だった。
この店のオーナーは、愛知県出身のレイ・服部さんだと店の人に聞いて知った。その後、電話で1回、さらに店に行って再度話を聞く機会があった。服部さんは元々、アサヒビールの社員。米国法人のプレジデントを最後に退職した彼が、アメリカで選んだ仕事はレストランビジネスのコンサルタントだった。ハワイ、ニューヨーク、ロサンゼルスとアサヒビールの米国のいくつかの拠点で働いてきた中で、日本食レストランに精通しているという自負があったからかもしれない。しかし、コンサルタントを名乗るからには、一度自分でレストランの経営に携わるべきだという思いに至った。
そこで、日本で大規模な飲食店チェーンを展開している企業と手を組み、南カリフォルニアに日本食レストランを開店することになった。こうして誕生したのが蕎麦居酒屋みなみだった。なぜ蕎麦だったのか?その問いに対して服部さんは次のように説明した。「まず、日本人として『これは本物の味だね』と言っていただけるような店にしたかったということ。次にオレンジにはいろんな日本食店があり、ラーメン店も多いですが、蕎麦屋があまりないということです」。
足で稼いだ市場調査・数カ月で行列のできる店に
みなみは前述のように口コミで噂になるだけでなく、実際に行列のできる店として開店してまだ数カ月で目に見える成果を上げている。さまざまな業態の日本食レストランが店を開けたものの、ビジネスが軌道に乗らないまま、閉じるという繰り返しの中、よほど市場調査をしっかりしたのだろうとその方法を服部さんに聞くと、「LyftとUberのドライバーになったんですよ」と答えた。考えてみれば、車社会のカリフォルニアでの配車サービスの顧客は、アルコールを飲むなどの理由で、飲食店への往復に利用することが多いに違いない。彼らがどんな場所にある、どんな店に行くのか、服部さんは自らハンドルを握って、彼らと実際と話をして人々が求めるものをヒヤリングしたのだそうだ。
足で稼いだマーケティングの結果、場所はフリーウェイを降りて数分ほどのトレーダージョーズが入っているモール内に決まった。店ではオーダーが入ってから製麺機にかける「打ちたて」の蕎麦を提供している。また、メニューにはうどんもあるが、持ち帰りの場合、うどんは受け付けても蕎麦の持ち帰りは断っている。それだけ「打ちたて」に服部さんがこだわっているからだ。そして、最初は日本人が食べて納得できる本物の蕎麦を目指したが、今ではアメリカ人顧客がその過半数を占めるようになった。それもまた、口コミが生んだ嬉しい誤算に違いない。
さらに夜には店名の通り、「居酒屋」としての顔を見せる。ビールは服部さんの古巣、アサヒビールと沖縄のオリオンビールを置いている。沖縄は、服部さんの妻の小百合さんの故郷だ。メニューにもジューシー、沖縄風タコス餃子、タコライス、人参しりしり、ゴーヤチャンプルー、豆腐チャンプルー、ジーマミー豆腐、黒糖ぜんざいなど、実に多くの沖縄料理が並ぶ。本格的な蕎麦と同様、本格的な沖縄料理が、この店の看板になりつつある。近辺に在住する、沖縄に駐留していたアメリカ人が「懐かしい」と店の常連になってくれているという。
ただし、小百合さんは故郷の料理を広めたいという気持ちで沖縄料理を出しているが、夫の服部さんの視点は多少異なる。「アサヒビール時代にはハワイにも駐在していました。その時に思ったのが、沖縄系の人がこんなに多いのに、沖縄料理のレストランが見当たらないということです。ハワイはもちろんアメリカ本土でも、沖縄料理のレストランには大きな可能性を感じます」。その言葉にレストランコンサルタントとしての服部さんの一面が垣間見えた。
© 2019 Keiko Fukuda