ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2015/2/27/beikoku-16/

第16回 モンタナ州の日系人

グレート・ノーザン鉄道から始まる

北はカナダと一直線の国境で分かれているモンタナ(Montana)州は、東をノースダコタ、南をワイオミング、西をアイダホの三州と接している。「百年史」では、「モンタナ州に日本人が最初に入込んだ経緯は詳らかではないが、一八八四年から一八九〇年頃の間、多い時は三十名も鉱山町ビュテに日本人賤業婦が入込んだといわれ、しかし大量に入ったのは一八九八年、東洋貿易会社がグレート・ノーザン鉄道会社に日本人労働者供給の契約を結び、多数を送り込んだことに始まる」と、いう総説ではじまり、10ページにわたって、紹介している。

以下、興味深い点などを追って、まとめてみよう。

前回紹介したワイオミング州とおなじように、当時敷設がすすむ鉄道工事に関係して、日本人労働者が日本人による人材斡旋会社によって、モンタナへも大量に送り込まれ働いていた。

数が増えればコミュニティーも出来上がり、1900年代になると日本人による商店などの諸営業も行われた。1907年8月の調査では、同州の日本人は1920人で、そのうち1630人が鉄道労働関係者と、大半を占めていた。また、女性はわずか22人で、偏った構成になっている。

鉄道工事はやがて下火になっていき、それに応じてこうした鉄道関係の労働者の需要は減少する。仕方なく鉄道から、農業に転ずるものが出るのは、これもワイオミングなどと同じ。

「その端緒は一九〇六年にビリングス市にグレートウェスタン製糖会社が新設され久保沢悠策、大越強など協同で三千英加の大根園に日本人労働者供給契約をなし二百余人を就働せしめたに始まる」

その後も農業労働の移入はつづき、大根耕作で自信をつけた日本人のなかには、製糖会社や銀行から融資を受けて自ら農園を始めるものも出てきた。1940年ごろは、農業に従事していたのは21戸で、戦争をはさんで戦後も野菜、砂糖大根、豆類などを耕作した。


西部劇のような出来事が 

モンタナ州では排日の動きは激しく、鉄道労働者が入り込んだ当初は、いたるところで白人労働者との間で衝突が起きた。また、排日土地法もでき、一世は二世名義で土地を購入したり、借地として耕作をつづけたり、あるいは廃業するものもでた。

ロッキー山脈より東の大都会で、鉄道が交差する要所でもあるグレート・フォールス市は、古くから東洋人の排斥が有名だった。1890年後には洗濯業を始めた中国人3人が襲撃され、2人が滝つぼに落とされて死亡した。

その後に入った日本人労働者も、また襲われた。

「~カウボーイに襲われウォルフクリーキの山中に連れ込まれ、太縄で木に吊し上げられ、顔色が変って来ると下ろして苦しめるという暴行事件が起った」 

ハーバー市では、激しい戦いに発展した。

「一九〇三年のこと、当市から六十哩西方のチェスター町で日本人とカウボーイの大衝突を起し、血気にはやる日本の若者と荒くれのカウボーイが西部劇そのものの市街戦、撃合い事件を起した」


野口英世博士の貢献

アイダホ州に近い西部のミゾラ(ミズーラ=Missoula)には、日米開戦直後に「敵性外国人指導者として一斉検挙された山中部以西太平洋岸各州に及ぶ約一千名が翌年三月まで収容された」

このミゾラを含む地方に、黄熱病が流行し日本人の間でも病死するものが数多く出た。病原が判明しないため、地元の医学会がニューヨークのロックフェラー研究所にいた野口英世博士を招いて調査してもらったところ、病原がわかりかつ、ワクチンも発明した。

ところが、新薬であることを恐れてか、このワクチンを試すものが最初はなかった。しかし最初に注射したものがでると、我も我もと後に続いた。その結果黄熱病による死亡率が激減、この地方で野口博士は称賛された。


捕虜労働者の責任者となって

モンタナ州の「紳士録」(個人史)としては、4人が特に紹介されている。いずれも農業に従事している人だ。そのなかで、ハーディン市の二世、小山トム雅生さんの経歴はユニークだ。

父親は和歌山県出身で、鉄道で働いたのち農業に従事。雅生氏は両親とともにカリフォルニア州のギルモアに移り、19歳のときに同地では初めて砂糖大根の耕作に成功。1937年には大学に入るため日本に渡り、開戦直前の1941年にアメリカに戻った。戦時中はアリゾナ州の収容所に移った。

「(そこで)モンタナ州で農業労働者不足に着目、日英両語でモンタナ州では農業労働者が必要であるとの意味の看板を作り、署名を集めた所、たちどころに約三百名が集まったので、労働力が有る事をホーリー砂糖会社に知らせた。同社の取りはからいにより、間もなくモンタナ州へ働きに行ける様に手続きが取られ、氏は日本人並に独人捕虜労働者の責任者となって尽くした」。

百年史に掲載されている小山氏一家の写真は、アメリカンスタイルの家の前でいかにもアメリカのファミリーという感じで、家族全員が微笑んで写っている。 

「百年史」にある小山トム雅生氏の家族とその紹介

(注:引用はできる限り原文のまま行いましたが、一部修正しています。また、地名については「百年史」にある表し方を基本としました。)

* 次回は、「ユタ州の日系人」です。

 

© 2015 Ryusuke Kawai

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このシリーズについて

1960年代はじめ、全米を取材して日系社会のルーツである初期の日本人移民の足跡をまとめた大著「米國日系人百年史」(新日米新聞社)が発刊された。いまふたたび本書を読み直し、一世たちがどこから、何のためにアメリカに来て、何をしたのかを振り返る。全31回。

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執筆者について

ジャーナリスト、ノンフィクションライター。神奈川県出身。慶応大学法学部卒、毎日新聞記者を経て独立。著書に「大和コロニー フロリダに『日本』を残した男たち」(旬報社)などがある。日系アメリカ文学の金字塔「ノーノー・ボーイ」(同)を翻訳。「大和コロニー」の英語版「Yamato Colony」は、「the 2021 Harry T. and Harriette V. Moore Award for the best book on ethnic groups or social issues from the Florida Historical Society.」を受賞。

(2021年11月 更新)

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